選ばれる暴君院長コラム
2026/02/01 政治・経済
今年は、荒れ狂う世界情勢を予感させる事件から新しい年が始まりました。正月早々の1月3日未明、トランプ政権はベネズエラに軍隊を派遣し、軍事作戦によってニコラス・マドゥロ大統領夫妻を拘束し、ニューヨークへ連れ去ったのです。他国の現職国家元首を、武力を用いて拘束・拉致同然に連行する――この行為は、ロシアのウクライナ侵攻と並ぶ、あるいはそれ以上に、近代史において異常な国家暴力と言っても過言ではありません。
ロシアのプーチンと比較すれば、むしろトランプの方が一枚上手の“近代史的悪党”と言えるかもしれません。自分の意に添わぬ相手は、他国の大統領であろうが関係なく、力でねじ伏せ、言うことを聞かせる――その姿は、民主主義国家の指導者ではなく、専制君主そのものです。「暴君トランプ」という評価が世界に再認識された瞬間だったと言えるでしょう。
その後、トランプ大統領はニューヨーク・タイムズのインタビューで「私自身の道徳観、私自身の考え、それが私を止められる唯一のものだ」「国際法は必要ない」と発言したと報じられています。これはすなわち、法も国際秩序も否定し、「自分が世界の王であり、自分の考えこそが世界のルールだ」と宣言しているに等しい思想です。まさに専制君主、暴君の思考構造そのものです。
ヨーロッパやカナダの指導者たちは、この暴挙を真正面から非難できていません。アメリカの圧倒的な経済力と軍事力の前では、正義も倫理も沈黙する――これが現実です。結局のところ、「経済に倫理は勝てない」世界構造が、ここに露呈しているのです。
トランプ大統領の暴走は国外だけにとどまりません。アメリカ国内では、不法移民対策を口実に、政敵である民主党州知事の州に対して、武装した移民・関税執行局(ICE)捜査官を大量投入し、市民拘束を強行しました。その取り締まりに抗議する市民との衝突の中で、アメリカ市民権を持つ二人が射殺されるという、前代未聞の事件まで発生しました。「不法移民対策」を大統領選挙の公約に掲げていたトランプ大統領は、その公約実現のためなら、自国民の命すら犠牲にする。これもまた、暴君の統治手法そのものです。
そんな中、1月9日、日本にも「暴君現る」と言いたくなる出来事が起きました。現職総理である高市早苗総理大臣が、「高市早苗が内閣総理大臣でよいのか、今、主権者たる国民の皆さまに決めていただく。それしかない」として、衆議院を解散したのです。しかし、冷静に考えれば、この発言自体が制度的に破綻しています。日本は議院内閣制国家です。国民が選挙で選んだ衆議院議員が、その中から首相を選出する制度です。つまり、「よいかどうか」をすでに民意は選挙で示しているのです。「今さら何を言っているのか?」
「信任投票がやりたいだけではないのか?」多くの国民がそう感じたはずです。
前回の衆議院選挙から1年3か月も経たず、任期4年のわずか4分の1の期間で再び解散。その間に参議院選挙も行われています。つまり、1年余りで国政選挙が3回。そこまで頻繁に「民意」を問う必要が本当にあるのでしょうか。選挙1回にかかる費用は約850億円とも言われています。一方で、与党が主張する議員定数削減の財政効果は年間40億円程度。つまり、選挙1回分の費用は、その20年分に相当します。自分の政治的都合で、これほど巨額の税金を使う総理は、やはり「暴君」のそしりを免れません。
もしここで再び自民党が政権を維持し、高市早苗氏が再登板すれば、彼女は「全権委任された」と思い込む可能性があります。リーダーシップという美名のもとで、自分の思想を国家運営そのものに直結させる政治が始まるでしょう。
積極財政、防衛予算の大幅拡張、国家主導経済――それ自体の是非ではなく、「反対意見を許容しない統治構造」が最大の問題です。総務大臣時代に報道規制発言を行った人物が、高市早苗氏です。もし政権中枢に権力が集中すれば、テレビも新聞もSNSも「政府の検閲対象」となり、オールドメディアもSNSも、政府広報機関へと変質する可能性すらあります。これは陰謀論ではなく、歴史が何度も繰り返してきた専制国家化のプロセスです。
社会に閉塞感が漂うとき、民衆は「強いリーダー」を求める。トランプも、ヒトラーも、戦前日本の軍国主義も、プーチンも、すべて同じ構造です。社会不安と経済不満が頂点に達したとき、人々は「力による解決」に希望を託し、暴君を生み出すのです。そして今、日本にも経済格差の拡大に苦しみ、「強い指導者」を求める空気が確実に広がっています。
「倫理より経済」「理想より今日の飯」そう叫びたくなる気持ちは理解できます。しかし、その先にある社会は、自由に意見が言えず、権力に逆らえば排除され、恐怖によって秩序が維持される社会です。アメリカは、わずか1年でその兆候を見せ始めています。日本は本当に大丈夫でしょうか。
アメリカの移民取り締まりの映像を見たとき、私は水谷豊主演で映画化された妹尾河童(せのお かっぱ)の小説『少年H』を思い出しました。戦前日本が戦争へと突き進む中で、庶民の生活がどのように変質していったかを描いた作品です。言論の自由は失われ、特高警察が庶民を次々と逮捕していく社会。そこには「自由」という言葉の存在しない日本がありました。私は、今回の選挙結果が、その時代への逆戻りの第一歩になるのではないかと強い危機感を覚えています。
確かにご飯は大切です。しかし、人間にとってそれ以上に大切なのは「自由」です。
「武士は食わねど高楊枝」という言葉がありますが、戦後80年にわたり、日本社会が守ってきた自由と民主主義の価値は、経済合理性だけで手放してよいものではありません。今、日本の将来が問われています。日本を「経済優先の強権国家」にするのか?、「自由で民主的な国」を守っていくのか?。その選択が、私たち一人ひとりの一票に委ねられています。
どうか、日本の未来を思い、熟慮の上で、その一票を投じてください。
ロシアのプーチンと比較すれば、むしろトランプの方が一枚上手の“近代史的悪党”と言えるかもしれません。自分の意に添わぬ相手は、他国の大統領であろうが関係なく、力でねじ伏せ、言うことを聞かせる――その姿は、民主主義国家の指導者ではなく、専制君主そのものです。「暴君トランプ」という評価が世界に再認識された瞬間だったと言えるでしょう。
その後、トランプ大統領はニューヨーク・タイムズのインタビューで「私自身の道徳観、私自身の考え、それが私を止められる唯一のものだ」「国際法は必要ない」と発言したと報じられています。これはすなわち、法も国際秩序も否定し、「自分が世界の王であり、自分の考えこそが世界のルールだ」と宣言しているに等しい思想です。まさに専制君主、暴君の思考構造そのものです。
ヨーロッパやカナダの指導者たちは、この暴挙を真正面から非難できていません。アメリカの圧倒的な経済力と軍事力の前では、正義も倫理も沈黙する――これが現実です。結局のところ、「経済に倫理は勝てない」世界構造が、ここに露呈しているのです。
トランプ大統領の暴走は国外だけにとどまりません。アメリカ国内では、不法移民対策を口実に、政敵である民主党州知事の州に対して、武装した移民・関税執行局(ICE)捜査官を大量投入し、市民拘束を強行しました。その取り締まりに抗議する市民との衝突の中で、アメリカ市民権を持つ二人が射殺されるという、前代未聞の事件まで発生しました。「不法移民対策」を大統領選挙の公約に掲げていたトランプ大統領は、その公約実現のためなら、自国民の命すら犠牲にする。これもまた、暴君の統治手法そのものです。
そんな中、1月9日、日本にも「暴君現る」と言いたくなる出来事が起きました。現職総理である高市早苗総理大臣が、「高市早苗が内閣総理大臣でよいのか、今、主権者たる国民の皆さまに決めていただく。それしかない」として、衆議院を解散したのです。しかし、冷静に考えれば、この発言自体が制度的に破綻しています。日本は議院内閣制国家です。国民が選挙で選んだ衆議院議員が、その中から首相を選出する制度です。つまり、「よいかどうか」をすでに民意は選挙で示しているのです。「今さら何を言っているのか?」
「信任投票がやりたいだけではないのか?」多くの国民がそう感じたはずです。
前回の衆議院選挙から1年3か月も経たず、任期4年のわずか4分の1の期間で再び解散。その間に参議院選挙も行われています。つまり、1年余りで国政選挙が3回。そこまで頻繁に「民意」を問う必要が本当にあるのでしょうか。選挙1回にかかる費用は約850億円とも言われています。一方で、与党が主張する議員定数削減の財政効果は年間40億円程度。つまり、選挙1回分の費用は、その20年分に相当します。自分の政治的都合で、これほど巨額の税金を使う総理は、やはり「暴君」のそしりを免れません。
もしここで再び自民党が政権を維持し、高市早苗氏が再登板すれば、彼女は「全権委任された」と思い込む可能性があります。リーダーシップという美名のもとで、自分の思想を国家運営そのものに直結させる政治が始まるでしょう。
積極財政、防衛予算の大幅拡張、国家主導経済――それ自体の是非ではなく、「反対意見を許容しない統治構造」が最大の問題です。総務大臣時代に報道規制発言を行った人物が、高市早苗氏です。もし政権中枢に権力が集中すれば、テレビも新聞もSNSも「政府の検閲対象」となり、オールドメディアもSNSも、政府広報機関へと変質する可能性すらあります。これは陰謀論ではなく、歴史が何度も繰り返してきた専制国家化のプロセスです。
社会に閉塞感が漂うとき、民衆は「強いリーダー」を求める。トランプも、ヒトラーも、戦前日本の軍国主義も、プーチンも、すべて同じ構造です。社会不安と経済不満が頂点に達したとき、人々は「力による解決」に希望を託し、暴君を生み出すのです。そして今、日本にも経済格差の拡大に苦しみ、「強い指導者」を求める空気が確実に広がっています。
「倫理より経済」「理想より今日の飯」そう叫びたくなる気持ちは理解できます。しかし、その先にある社会は、自由に意見が言えず、権力に逆らえば排除され、恐怖によって秩序が維持される社会です。アメリカは、わずか1年でその兆候を見せ始めています。日本は本当に大丈夫でしょうか。
アメリカの移民取り締まりの映像を見たとき、私は水谷豊主演で映画化された妹尾河童(せのお かっぱ)の小説『少年H』を思い出しました。戦前日本が戦争へと突き進む中で、庶民の生活がどのように変質していったかを描いた作品です。言論の自由は失われ、特高警察が庶民を次々と逮捕していく社会。そこには「自由」という言葉の存在しない日本がありました。私は、今回の選挙結果が、その時代への逆戻りの第一歩になるのではないかと強い危機感を覚えています。
確かにご飯は大切です。しかし、人間にとってそれ以上に大切なのは「自由」です。
「武士は食わねど高楊枝」という言葉がありますが、戦後80年にわたり、日本社会が守ってきた自由と民主主義の価値は、経済合理性だけで手放してよいものではありません。今、日本の将来が問われています。日本を「経済優先の強権国家」にするのか?、「自由で民主的な国」を守っていくのか?。その選択が、私たち一人ひとりの一票に委ねられています。
どうか、日本の未来を思い、熟慮の上で、その一票を投じてください。





