“戦争だけはいかん”――高市首相に聞かせたい父の言葉院長コラム
2025/12/01 政治・経済
高市首相の登場により内閣支持率は急上昇し、国会での野党の追及も世論の反発を恐れて勢いを欠くほどだと報じられています。しかし、自民党は少数与党であり、維新との連立や離党議員の受け入れによって衆議院では何とか過半数を確保しているものの、参議院では依然として過半数に届いていません。つまり、国会における与野党の力関係は石破内閣時代と大きく変わっているわけではありません。
それにもかかわらず、この高支持率ぶりには驚かされます。その理由は、石破前首相と高市首相の「物言い」「話し方」の違いにあると私は感じています。石破前首相は丁寧ではあるものの回りくどく、注意深く聞かなければ結論が分かりにくい語り口でした。一方で、高市首相の発言は白黒がはっきりしており、分かりやすく力強い。SNS全盛の時代において短いフレーズで伝わる強い言葉は、視聴者の心に刺さりやすいのでしょう。
また、笑顔やパフォーマンスも石破前首相と対照的です。米海軍横須賀基地で空母に乗り、トランプ元大統領と共に拳を突き上げる姿は、SNSで大きな話題となり、そのギャップが一段と高市首相の人気を押し上げているように感じます。
しかし、その「分かりやすさ」ゆえの落とし穴もあります。立憲民主党・岡田克也元幹事長の質問に対し、高市首相が台湾有事について「日本の存立危機事態に該当し得る」と答えたと報道されましたが、全体の答弁を読むと、「台湾を中国が封鎖し、それを米軍が支援し、その米軍への攻撃が起こる」という一連の流れのうち、報道では“米軍支援”の部分が抜け落ちています。つまり、中国が台湾へ武力行使したからといって即座に自衛隊が参戦するという意味ではないのです。
それにもかかわらず、高市首相の強気な発言を支持する層は「中国に対して言うべきことをようやく言った」と受け止め、さらに支持を強めているように見えます。しかし、台湾問題の起源をたどれば、最大の責任は利益優先のアメリカ、そして1972年の日中国交正常化時の日本の姿勢にあります。
1971年まで、アメリカも日本も台湾(中華民国)を「中国の代表」として扱ってきました。しかしアメリカは巨大な“中国市場”を重視し、方針を転換。翌1972年、日本も同調し、中華人民共和国を中国の唯一の代表と認め、台湾とは断交しました。日中共同声明には、日本が中国の主張する「台湾は中国の一部」という立場を「理解し尊重する」と記されています。この曖昧な表現の裏で、日本は台湾を切り捨てたのです。
そのような経緯を持つ日本の政治が、いまになって台湾問題で「存立危機事態」に言及することに私は強い違和感を覚えます。利益優先で曖昧な路線をとり続けてきたのは日本自身なのに、いまさら強硬姿勢を示したところで中国に本気で相手にされるはずがありません。
本来、日本が正論を貫くのであれば、1972年の段階で「台湾とも中国とも国交を持つ」という立場を主張すべきでした。しかしそれをせず、曖昧路線で国交を回復した以上、今になってその原則を変更することはできません。外交の連続性を知る政治家たちが、長年その曖昧さを維持してきたのはそのためです。
ところが、世界的な自国優先主義の流れの中で、強気な発言が支持を集めやすい環境が生まれました。物価高の中で収入が伸びず、将来への不安を抱える若者たちが「自国第一」という考えに傾きやすいのは理解できます。しかし、その感情が政治を動かすことには危うさがあります。力のない国が強気に振る舞うことほど危険なことはありません。
私は昭和の高度成長期の貧しい日本を知っています。小さな島国で、人口も軍事力もアメリカや中国には到底及ばない国でした。経済的に豊かになった現在でも、その基本構造は変わりません。弱い者ほどよく吠えるといいますが、国家においても同じことが言えるでしょう。必要以上に強気な言葉で相手を刺激するのは得策ではありません。
私の父はシベリア抑留を経験した元兵士でした。強気な性格の父でしたが、戦争の映像を見るたびに「戦争だけはいかん」と静かに呟いていました。その言葉には体験者にしか分からない重みがありました。晩年、抑留をテーマにしたロシアのドキュメンタリー映画の討論会で、父がロシア人に感謝の言葉を述べる姿を見たとき、父の心に刻まれた思いの深さをあらためて感じました。
いま、強い言葉を求める風潮が広がっています。しかし、戦争体験者が残した「戦争だけはいかん」という言葉の重みを、私たちはもう一度思い起こすべきではないでしょうか。謙虚で誠実という日本人の国民性こそ、平和な未来を切り開く鍵になると私は信じています。
それにもかかわらず、この高支持率ぶりには驚かされます。その理由は、石破前首相と高市首相の「物言い」「話し方」の違いにあると私は感じています。石破前首相は丁寧ではあるものの回りくどく、注意深く聞かなければ結論が分かりにくい語り口でした。一方で、高市首相の発言は白黒がはっきりしており、分かりやすく力強い。SNS全盛の時代において短いフレーズで伝わる強い言葉は、視聴者の心に刺さりやすいのでしょう。
また、笑顔やパフォーマンスも石破前首相と対照的です。米海軍横須賀基地で空母に乗り、トランプ元大統領と共に拳を突き上げる姿は、SNSで大きな話題となり、そのギャップが一段と高市首相の人気を押し上げているように感じます。
しかし、その「分かりやすさ」ゆえの落とし穴もあります。立憲民主党・岡田克也元幹事長の質問に対し、高市首相が台湾有事について「日本の存立危機事態に該当し得る」と答えたと報道されましたが、全体の答弁を読むと、「台湾を中国が封鎖し、それを米軍が支援し、その米軍への攻撃が起こる」という一連の流れのうち、報道では“米軍支援”の部分が抜け落ちています。つまり、中国が台湾へ武力行使したからといって即座に自衛隊が参戦するという意味ではないのです。
それにもかかわらず、高市首相の強気な発言を支持する層は「中国に対して言うべきことをようやく言った」と受け止め、さらに支持を強めているように見えます。しかし、台湾問題の起源をたどれば、最大の責任は利益優先のアメリカ、そして1972年の日中国交正常化時の日本の姿勢にあります。
1971年まで、アメリカも日本も台湾(中華民国)を「中国の代表」として扱ってきました。しかしアメリカは巨大な“中国市場”を重視し、方針を転換。翌1972年、日本も同調し、中華人民共和国を中国の唯一の代表と認め、台湾とは断交しました。日中共同声明には、日本が中国の主張する「台湾は中国の一部」という立場を「理解し尊重する」と記されています。この曖昧な表現の裏で、日本は台湾を切り捨てたのです。
そのような経緯を持つ日本の政治が、いまになって台湾問題で「存立危機事態」に言及することに私は強い違和感を覚えます。利益優先で曖昧な路線をとり続けてきたのは日本自身なのに、いまさら強硬姿勢を示したところで中国に本気で相手にされるはずがありません。
本来、日本が正論を貫くのであれば、1972年の段階で「台湾とも中国とも国交を持つ」という立場を主張すべきでした。しかしそれをせず、曖昧路線で国交を回復した以上、今になってその原則を変更することはできません。外交の連続性を知る政治家たちが、長年その曖昧さを維持してきたのはそのためです。
ところが、世界的な自国優先主義の流れの中で、強気な発言が支持を集めやすい環境が生まれました。物価高の中で収入が伸びず、将来への不安を抱える若者たちが「自国第一」という考えに傾きやすいのは理解できます。しかし、その感情が政治を動かすことには危うさがあります。力のない国が強気に振る舞うことほど危険なことはありません。
私は昭和の高度成長期の貧しい日本を知っています。小さな島国で、人口も軍事力もアメリカや中国には到底及ばない国でした。経済的に豊かになった現在でも、その基本構造は変わりません。弱い者ほどよく吠えるといいますが、国家においても同じことが言えるでしょう。必要以上に強気な言葉で相手を刺激するのは得策ではありません。
私の父はシベリア抑留を経験した元兵士でした。強気な性格の父でしたが、戦争の映像を見るたびに「戦争だけはいかん」と静かに呟いていました。その言葉には体験者にしか分からない重みがありました。晩年、抑留をテーマにしたロシアのドキュメンタリー映画の討論会で、父がロシア人に感謝の言葉を述べる姿を見たとき、父の心に刻まれた思いの深さをあらためて感じました。
いま、強い言葉を求める風潮が広がっています。しかし、戦争体験者が残した「戦争だけはいかん」という言葉の重みを、私たちはもう一度思い起こすべきではないでしょうか。謙虚で誠実という日本人の国民性こそ、平和な未来を切り開く鍵になると私は信じています。





