ネガティブキャンペーンが蝕む政治家の品位院長コラム
2025/08/01 政治・経済
参議院選挙は、自民党の歴史的な大敗で幕を閉じましたが、それ以上に驚かされたのは、新興宗教のような熱狂を見せた参政党の躍進です。6月に無所属の候補者を入党させ、かろうじて政党要件である5人の国会議員(衆議院3議席、参議院2議席)を満たしたばかりの参政党が、改選前の1議席から、なんと14議席を獲得しました。比例区での得票数も742万票と、自民党・国民民主党に次ぐ3位。野党第一党である立憲民主党の票数を上回っていました。
選挙最終日のマイク納めの様子をニュースで見ましたが、会場となった芝公園は大混雑。反対派も入り乱れ、まるで選挙演説というよりロックフェスのような盛り上がりに、非常に驚かされました。
参政党の主張は、自民党よりも右寄りとされ、選挙期間中は外国人問題に厳しい姿勢を強調。「日本人ファースト」という、日本人として耳障りのよいキャッチコピーを繰り返し、20〜30代の若い世代の支持を集めたと多くのマスコミは分析しています。私も、40代以降の壮年世代の有権者と同様に、まさか参政党がこれほど支持を得るとは思ってもみませんでした。
参政党の神谷代表は、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで、「感情に訴えるテーマや常識を覆す言葉の多くをトランプ氏から学んだ」と語っています。選挙戦においても、トランプ氏の熱狂的な支持を生む「共感マーケティング」の戦略を参考にしたと述べ、「自分こそが日本版トランプに最も近い存在だ」と自負しています。つまり、「自分が一番、自分が正しい、異を唱える者は排除する」といったトランプ氏的な政治信条を掲げていると私は感じました。
4月のコラム「アメリカに幻滅?」にも書いた通り、私は、アメリカの「自由と正義」を軽視するトランプ氏の姿勢に幻滅しました。それと同様に、神谷代表の発言や演説にも、しばしば失望を覚えるのです。
実は、昨年の兵庫県知事選以降、SNSが選挙戦を大きく左右するようになったこともあり、候補者の主張が次第に過激化し、対立候補を公然と批判・侮辱する演説が目立つようになりました。かつてアメリカの大統領選で、ネガティブキャンペーンが盛んに行われていた頃、大統領候補者のテレビCMが相手陣営を堂々と非難する姿を見て、私は驚き、同時に「なんと品のない選挙運動か」とがっかりしたことを思い出します。
かつての日本の選挙では、相手をけなすよりも、自らの政策や理念の優位性を訴える「ポジティブキャンペーン」が主流で、聴いていても気分を害することはありませんでした。しかし、最近の政治家の演説は、聴いていて不快になることが多く、「胸くそが悪い」と感じる場面も増えています。
SNSでは、短くインパクトのあるキャッチーなフレーズが求められますが、その多くが相手を攻撃する内容になってしまっているのが現状です。こうした流れの発端は、安倍晋三元総理が何度も口にした「悪夢の民主党政権」ではないかと、私は思っています。選挙で民主党に敗れた当事者が、総理に返り咲いたのを機に、かつての政権を「悪夢」とまで言い切る——これが日本の総理大臣の発言かと、当時は情けなく感じました。
今や、参政党に限らず、NHK党や日本保守党などの新興政党が注目を集めるため、品位を欠いたネガティブキャンペーンを繰り広げるようになり、アメリカの大統領選挙さながらの状況となっています。多くの新興政党は、自民党よりも右寄りで、日本の伝統や精神を重んじると謳っていますが、相手を貶めるような姿勢が、日本人の伝統的な気質と一致しているとは、到底思えません。
私は、人の悪口を聞いて気分が良くなる人は少数派だと思っていました。しかし、新興政党の演説会場では、対立候補を非難する発言に多くの人が熱狂しており、「時代も人の心も変わってしまったのか」と驚かざるを得ません。
日本人は、「武士道の精神」ではありませんが、損得よりも正義を重んじ、他人と比較せず自分を高めることを重視してきました。他人を蔑むような発言は、恥ずべきものと考えてきたはずです。しかし、平成の30年間で経済は疲弊し、庶民の所得は下がり続け、若者の生活は苦しくなり、格差は拡大する一方。そうした不満のはけ口として、新興政党の政治家や、対立候補を攻撃する演説への共感が生まれているのでしょうか。
思えば、トランプ大統領の熱狂的支持者も、アメリカのラストベルトに住む経済的に困窮した白人労働者層です。日本でも、経済的に苦しい立場にある若者が過激な新興政党を支持する構図は、極めて似通っているのかもしれません。「衣食足りて礼節を知る」「貧すれば鈍する」という言葉が、根本にあるのではないかと考えさせられます。
しかし、政治家は社会を代表する存在です。経済的に厳しい今だからこそ、利己的になりがちな大衆に向かって、「お金や利益以上に信義や自由が大切なのだ」と語りかけ、相手を攻撃するのではなく、自らが目指す社会像や、それを実現する具体的な方策を堂々と訴えるような選挙戦を行ってほしいのです。
「日本人ファースト」を掲げるのならば、まずは私たちが受けた昭和の「道徳」の授業を思い出し、人として本当に大切なものを学び直してほしい。そんな気持ちから、私は言いたいのです。「道徳の勉強をしてから出直してこい!」と。
アメリカが損得を最優先する「ディール至上主義」の大統領を選び、世界から冷ややかな目で見られようとしている今こそ、日本の政治家には日本人の原点に立ち返り、信義と道徳に根ざした品位ある政治を行ってほしいと、切に願っています。
選挙最終日のマイク納めの様子をニュースで見ましたが、会場となった芝公園は大混雑。反対派も入り乱れ、まるで選挙演説というよりロックフェスのような盛り上がりに、非常に驚かされました。
参政党の主張は、自民党よりも右寄りとされ、選挙期間中は外国人問題に厳しい姿勢を強調。「日本人ファースト」という、日本人として耳障りのよいキャッチコピーを繰り返し、20〜30代の若い世代の支持を集めたと多くのマスコミは分析しています。私も、40代以降の壮年世代の有権者と同様に、まさか参政党がこれほど支持を得るとは思ってもみませんでした。
参政党の神谷代表は、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで、「感情に訴えるテーマや常識を覆す言葉の多くをトランプ氏から学んだ」と語っています。選挙戦においても、トランプ氏の熱狂的な支持を生む「共感マーケティング」の戦略を参考にしたと述べ、「自分こそが日本版トランプに最も近い存在だ」と自負しています。つまり、「自分が一番、自分が正しい、異を唱える者は排除する」といったトランプ氏的な政治信条を掲げていると私は感じました。
4月のコラム「アメリカに幻滅?」にも書いた通り、私は、アメリカの「自由と正義」を軽視するトランプ氏の姿勢に幻滅しました。それと同様に、神谷代表の発言や演説にも、しばしば失望を覚えるのです。
実は、昨年の兵庫県知事選以降、SNSが選挙戦を大きく左右するようになったこともあり、候補者の主張が次第に過激化し、対立候補を公然と批判・侮辱する演説が目立つようになりました。かつてアメリカの大統領選で、ネガティブキャンペーンが盛んに行われていた頃、大統領候補者のテレビCMが相手陣営を堂々と非難する姿を見て、私は驚き、同時に「なんと品のない選挙運動か」とがっかりしたことを思い出します。
かつての日本の選挙では、相手をけなすよりも、自らの政策や理念の優位性を訴える「ポジティブキャンペーン」が主流で、聴いていても気分を害することはありませんでした。しかし、最近の政治家の演説は、聴いていて不快になることが多く、「胸くそが悪い」と感じる場面も増えています。
SNSでは、短くインパクトのあるキャッチーなフレーズが求められますが、その多くが相手を攻撃する内容になってしまっているのが現状です。こうした流れの発端は、安倍晋三元総理が何度も口にした「悪夢の民主党政権」ではないかと、私は思っています。選挙で民主党に敗れた当事者が、総理に返り咲いたのを機に、かつての政権を「悪夢」とまで言い切る——これが日本の総理大臣の発言かと、当時は情けなく感じました。
今や、参政党に限らず、NHK党や日本保守党などの新興政党が注目を集めるため、品位を欠いたネガティブキャンペーンを繰り広げるようになり、アメリカの大統領選挙さながらの状況となっています。多くの新興政党は、自民党よりも右寄りで、日本の伝統や精神を重んじると謳っていますが、相手を貶めるような姿勢が、日本人の伝統的な気質と一致しているとは、到底思えません。
私は、人の悪口を聞いて気分が良くなる人は少数派だと思っていました。しかし、新興政党の演説会場では、対立候補を非難する発言に多くの人が熱狂しており、「時代も人の心も変わってしまったのか」と驚かざるを得ません。
日本人は、「武士道の精神」ではありませんが、損得よりも正義を重んじ、他人と比較せず自分を高めることを重視してきました。他人を蔑むような発言は、恥ずべきものと考えてきたはずです。しかし、平成の30年間で経済は疲弊し、庶民の所得は下がり続け、若者の生活は苦しくなり、格差は拡大する一方。そうした不満のはけ口として、新興政党の政治家や、対立候補を攻撃する演説への共感が生まれているのでしょうか。
思えば、トランプ大統領の熱狂的支持者も、アメリカのラストベルトに住む経済的に困窮した白人労働者層です。日本でも、経済的に苦しい立場にある若者が過激な新興政党を支持する構図は、極めて似通っているのかもしれません。「衣食足りて礼節を知る」「貧すれば鈍する」という言葉が、根本にあるのではないかと考えさせられます。
しかし、政治家は社会を代表する存在です。経済的に厳しい今だからこそ、利己的になりがちな大衆に向かって、「お金や利益以上に信義や自由が大切なのだ」と語りかけ、相手を攻撃するのではなく、自らが目指す社会像や、それを実現する具体的な方策を堂々と訴えるような選挙戦を行ってほしいのです。
「日本人ファースト」を掲げるのならば、まずは私たちが受けた昭和の「道徳」の授業を思い出し、人として本当に大切なものを学び直してほしい。そんな気持ちから、私は言いたいのです。「道徳の勉強をしてから出直してこい!」と。
アメリカが損得を最優先する「ディール至上主義」の大統領を選び、世界から冷ややかな目で見られようとしている今こそ、日本の政治家には日本人の原点に立ち返り、信義と道徳に根ざした品位ある政治を行ってほしいと、切に願っています。