コロナ禍からの教訓 院長コラム
2023/07/01 医療・健康
5月8日に新型コロナウイルス感染症がインフルエンザと同様の「5類感染症」に移行して一月あまりが経過し、町中でのマスクを着用している人の姿も少なくってきました。私の暮らす福岡市では、韓国をはじめとする東南アジアからの観光客が大幅に増加して、街の賑わいもコロナ前に戻りつつあります。運動会や遠足等の学校行事もコロナ以前と同じように行われるようになり、子供達の暮らしも落ち着きつつあります。
もう前期高齢者となってしまった私は、マスクの着用を続けるべきかどうか悩んでいましたが、「大人がマスクを外さないと、子供はマスクを外せない」と言う記事を読んでから地下鉄等の公共交通機関を利用する時以外はマスクの着用をやめました。マスクの着用を主導したのは当然ですが大人ですから、マスクのをやめるのをも大人が手本を示さないと子供がマスクをやめないのは当然です。子供達がコロナ以前の子供らしい活動的な暮らしに戻るために大人の責任で、大人が勇気を持ってマスクを外す事が必要なのかも知れません。
この所一見私達の暮らしはコロナ以前に戻っているようですが、コロナで大きく変わってしまい以前には戻らないのでは?と思われる事もいくつもあります。例えばリモートワーク、コロナ以前は一流企業の社員が出社しないなんて考えられませんでしたが、資金的余裕がありリモートオフィスの構築が出来る一流企業ほどリモートワークが進み出社率が下がっていると言う驚きの変化。また、コロナ禍の飲食店の時短営業や在宅ワークで外出する機会が減り、居酒屋等での外食をしない習慣が定着したことで、外食産業の夜の閉店時間が早くなり、外食産業のあり方にも変化が見られます。コロナ前までは街は深夜まで活動が活発でしたが、コロナを経て深夜に営業している店舗は減り、街に夜が訪れるのが早くなっています。私が今春から再び通い始めたジムでも、コロナ以前は12時を回ってもトレーニングに励む人が多くいましたが、今ではピーク時間が早まり23時を過ぎるとひっそりしています。
このように様々な影響を残して収束を迎えようとしている新型コロナ感染症ですが、この3年間のコロナ禍の経験から人類が得たもの、学んだことがあったでしょうか?一番の収穫は、mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンの実用化!と言いたいところですが、ファイザーやモデルナ等の製薬会社が争って開発してmRNAワクチンの効果がどれほどだったのか?は、現状ではハッキリしない感じもします。ワクチン接種後の感染も多数報告されていますし、ワクチンの副反応による死者の報告も多数あります。また、遺伝子操作によるワクチンの人体への長期的影響についても分かっていませんから、遠い将来mRNAワクチンの接種は意味がない事だったとなる可能性もあります。
私がコロナ禍を経て学んだことは、科学技術の発展で自然界の仕組みが何でも分かり、人類が人の命や自然現象をある程度コントロール出来るようになったと思っていたことは、ただの空想だったと言うことです。歯科医として基礎的な医学教育を受けてきた私ですが、原因が特定されている感染症や事故等の外的な要因による病気や怪我は現代医学で克服されたものと考えていました。今後の医学が立ち向かう脅威は、内的な要因が原因で、原因の特定は出来ていない自己免疫疾患(リュウマチや膠原病など)と悪性腫瘍、そして認知症だけだとばかり思っていました。
ウィルスによる感染症は抗生剤が効かないので対象が難しいとは思っていましたが、近年致死率の高さで恐れられてエボラ出血熱やSARSなどは、アフリカなどの発展途上で衛生状態が劣悪な環境で感染拡大が起こり、衛生状態が良い先進国では無縁の感染症を感じていたのです。ところが、その心の隙を突いたのかどうかは分かりませんが、忽然と表れたのがコロナウィルスの感染症でした。
最新の医療器機が揃った病院に入院した有名人が次々と命を落としていくのを目の当たりにして、私が医療に抱いていた信頼が一気に崩れていました。現場の医療従事者は、過去の知識経験を元に最善を尽くしたにも関わらず、志村けんさんや岡江久美子さんはあっと言う間になくなりました。原因はウィルスですが病名は肺炎、炎症ですから現代医学で克服したと思っていたのに、63歳と私よりも若い岡江久美子さんの死は本能に衝撃的でした。ウィルスという自然の脅威の前に万能と思っていた現代医学が無力なことを見せつけられました。
エビデンス(根拠)に基づいた医療を行う事が最良とされ、過去のデータに基づいて作られたガイドラインに従う標準治療が現代医学の王道となっていましたが、未知のウィルスの出現に対しては、過去のデータが役に立ちませんからエビデンスに基づいた医療では太刀打ちできませんでした。日常診療で考えることなく標準治療を機械的に行ってきた多くの医師達は右往左往するばかりな様子でした。結局、感染防対策は、100年前のスペイン風邪の時と同じ、マスク、うがい、手洗いと言う100年前と同じ対策に現代医療を信じていた私は自然の脅威に対して、人類が如何に無力であるかを痛感しました。
このようなコロナ禍の医療の現状を見ながらコロナ禍をなんとか無事に生き抜いた今、医療人として私は、医学への過信を改め、医療に対して、患者さんに対してもっと謙虚にならなければと言う思いが強くなりました。現在正しいと信じられている治療法が未来永劫に正しいとは限らないのです。昔、韓国ドラマのチャングムが医師となり脈診や舌診診断して、煎じ薬で王様を治療しているのを見て、当時はそれが正しい最高の医療だったのでしょうが、現代から見ればそれが医療と言えるとは思えません。それと同じ様に未来人から見れば現代医療が非常に未熟なものであるかも知れませんから、標準治療を信じてガイドラインを金科玉条として機械的に治療を行う事は危険極まりないと思うのです。標準治療がなかったコロナウィルス感染拡大の初期、自身の経験と感を駆使して独自の治療方法を試してみる積極的で勇気のある医師がいたから、コロナ感染症に有効な治療法や処方が見つけ出され、次第に治療方法が確立され、死亡率も低下していったことが良い証しです。私は目の前の患者さん一人一人に真剣に謙虚に向き合い、自身の経験と勘を駆使して、一人一人の患者さんに最適な、ある意味オーダーメイドの医療を実践することが本来の医療であるとコロナ禍から学びました。
以前から矯正歯科の仲間に「僕はエビデンスに基づく治療はしたくない、エビデンスを作る人になりたい」と大口を叩いていましたが、コロナ禍を経てその思いが一段と強くなりました。前期高齢者となり、矯正歯科医としての経験も40年となりましたから、これまで以上に自身の経験と勘に基づき「答えは口の中にある」信念に従って、患者さん一人一人に私が最良と思う治療を行っていきたいと思っています。これが私がコロナ禍から得た教訓です。
もう前期高齢者となってしまった私は、マスクの着用を続けるべきかどうか悩んでいましたが、「大人がマスクを外さないと、子供はマスクを外せない」と言う記事を読んでから地下鉄等の公共交通機関を利用する時以外はマスクの着用をやめました。マスクの着用を主導したのは当然ですが大人ですから、マスクのをやめるのをも大人が手本を示さないと子供がマスクをやめないのは当然です。子供達がコロナ以前の子供らしい活動的な暮らしに戻るために大人の責任で、大人が勇気を持ってマスクを外す事が必要なのかも知れません。
この所一見私達の暮らしはコロナ以前に戻っているようですが、コロナで大きく変わってしまい以前には戻らないのでは?と思われる事もいくつもあります。例えばリモートワーク、コロナ以前は一流企業の社員が出社しないなんて考えられませんでしたが、資金的余裕がありリモートオフィスの構築が出来る一流企業ほどリモートワークが進み出社率が下がっていると言う驚きの変化。また、コロナ禍の飲食店の時短営業や在宅ワークで外出する機会が減り、居酒屋等での外食をしない習慣が定着したことで、外食産業の夜の閉店時間が早くなり、外食産業のあり方にも変化が見られます。コロナ前までは街は深夜まで活動が活発でしたが、コロナを経て深夜に営業している店舗は減り、街に夜が訪れるのが早くなっています。私が今春から再び通い始めたジムでも、コロナ以前は12時を回ってもトレーニングに励む人が多くいましたが、今ではピーク時間が早まり23時を過ぎるとひっそりしています。
このように様々な影響を残して収束を迎えようとしている新型コロナ感染症ですが、この3年間のコロナ禍の経験から人類が得たもの、学んだことがあったでしょうか?一番の収穫は、mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンの実用化!と言いたいところですが、ファイザーやモデルナ等の製薬会社が争って開発してmRNAワクチンの効果がどれほどだったのか?は、現状ではハッキリしない感じもします。ワクチン接種後の感染も多数報告されていますし、ワクチンの副反応による死者の報告も多数あります。また、遺伝子操作によるワクチンの人体への長期的影響についても分かっていませんから、遠い将来mRNAワクチンの接種は意味がない事だったとなる可能性もあります。
私がコロナ禍を経て学んだことは、科学技術の発展で自然界の仕組みが何でも分かり、人類が人の命や自然現象をある程度コントロール出来るようになったと思っていたことは、ただの空想だったと言うことです。歯科医として基礎的な医学教育を受けてきた私ですが、原因が特定されている感染症や事故等の外的な要因による病気や怪我は現代医学で克服されたものと考えていました。今後の医学が立ち向かう脅威は、内的な要因が原因で、原因の特定は出来ていない自己免疫疾患(リュウマチや膠原病など)と悪性腫瘍、そして認知症だけだとばかり思っていました。
ウィルスによる感染症は抗生剤が効かないので対象が難しいとは思っていましたが、近年致死率の高さで恐れられてエボラ出血熱やSARSなどは、アフリカなどの発展途上で衛生状態が劣悪な環境で感染拡大が起こり、衛生状態が良い先進国では無縁の感染症を感じていたのです。ところが、その心の隙を突いたのかどうかは分かりませんが、忽然と表れたのがコロナウィルスの感染症でした。
最新の医療器機が揃った病院に入院した有名人が次々と命を落としていくのを目の当たりにして、私が医療に抱いていた信頼が一気に崩れていました。現場の医療従事者は、過去の知識経験を元に最善を尽くしたにも関わらず、志村けんさんや岡江久美子さんはあっと言う間になくなりました。原因はウィルスですが病名は肺炎、炎症ですから現代医学で克服したと思っていたのに、63歳と私よりも若い岡江久美子さんの死は本能に衝撃的でした。ウィルスという自然の脅威の前に万能と思っていた現代医学が無力なことを見せつけられました。
エビデンス(根拠)に基づいた医療を行う事が最良とされ、過去のデータに基づいて作られたガイドラインに従う標準治療が現代医学の王道となっていましたが、未知のウィルスの出現に対しては、過去のデータが役に立ちませんからエビデンスに基づいた医療では太刀打ちできませんでした。日常診療で考えることなく標準治療を機械的に行ってきた多くの医師達は右往左往するばかりな様子でした。結局、感染防対策は、100年前のスペイン風邪の時と同じ、マスク、うがい、手洗いと言う100年前と同じ対策に現代医療を信じていた私は自然の脅威に対して、人類が如何に無力であるかを痛感しました。
このようなコロナ禍の医療の現状を見ながらコロナ禍をなんとか無事に生き抜いた今、医療人として私は、医学への過信を改め、医療に対して、患者さんに対してもっと謙虚にならなければと言う思いが強くなりました。現在正しいと信じられている治療法が未来永劫に正しいとは限らないのです。昔、韓国ドラマのチャングムが医師となり脈診や舌診診断して、煎じ薬で王様を治療しているのを見て、当時はそれが正しい最高の医療だったのでしょうが、現代から見ればそれが医療と言えるとは思えません。それと同じ様に未来人から見れば現代医療が非常に未熟なものであるかも知れませんから、標準治療を信じてガイドラインを金科玉条として機械的に治療を行う事は危険極まりないと思うのです。標準治療がなかったコロナウィルス感染拡大の初期、自身の経験と感を駆使して独自の治療方法を試してみる積極的で勇気のある医師がいたから、コロナ感染症に有効な治療法や処方が見つけ出され、次第に治療方法が確立され、死亡率も低下していったことが良い証しです。私は目の前の患者さん一人一人に真剣に謙虚に向き合い、自身の経験と勘を駆使して、一人一人の患者さんに最適な、ある意味オーダーメイドの医療を実践することが本来の医療であるとコロナ禍から学びました。
以前から矯正歯科の仲間に「僕はエビデンスに基づく治療はしたくない、エビデンスを作る人になりたい」と大口を叩いていましたが、コロナ禍を経てその思いが一段と強くなりました。前期高齢者となり、矯正歯科医としての経験も40年となりましたから、これまで以上に自身の経験と勘に基づき「答えは口の中にある」信念に従って、患者さん一人一人に私が最良と思う治療を行っていきたいと思っています。これが私がコロナ禍から得た教訓です。