政治家の品格 パート2院長コラム
2020/07/01 政治・経済
新型コロナウィルスの感染拡大で4月か放送開始予定のテレビドラマの撮影が難しくなった影響で、外出自粛でテレビを見る時間が長くなったのに番組は再放送ばかりで今一歩テレビを楽しめなかった方も多かったのではないでしょうか?日頃は家にいる時間が少なくてテレビのドラマを見る事もあまりない私も、今回ばかりは結構テレビを見る時間がありました。そして6月に入りようやく新番組が放送開始になり、偶然13年ぶりの篠原涼子さん主演「ハケンの品格 第2シリーズ」を見ました。
ご存じかも知れませんが、「ハケンの品格」は篠原涼子さんが演じる無数の資格を持ったスーパー派遣社員が、派遣社員を軽んじる大会社の正社員や旧態依然とした社内ルール、パワハラ、モラハラ、セクハラ等々のハラスメントに立ち向かい打ち負かす勧善懲悪ドラマです。ドラマのタイトルの「品格」とは何でしょうか?何となくイメージが湧きますが、辞書を引いても「その人やその物に感じられる気高さや上品さ」なんて書いてあるだけで、具体的のどう言うことなのか今一歩ピンと来ません。しかし、ドラマを見ると脚本家が言いたい「品格」の意味が分かります。仕事を遂行する優れた能力を持っていることもさることながら、上司や周りからの評価を気にせず、人の意見に左右されず自分の正義に従って行動する強い心こそが品格であると。後で知りましたが「ハケンの品格」の脚本は『Doctor-X 外科医・大門未知子』と同じ中園ミホさんだと聞いて、どちらもの主人公もお金や地位や世間体よりも自分の良心に従って生きているのを見るとこれが中園ミホさんの理想とする人間像であり、そのドラマがヒットすると言う事は社会一般の人が理想とするのも、「ハケンの品格」の大前春子であり、Doctor-X の大門未知子の様な生き方なのでしょう。 結局、誰もが自分の正義に従って行動する強い心を持ちたいと思い、それを持っている人を品格があると言って尊敬するのです。
常にハッピーエンドの「ハケンの品格」を見終わると、次に始まったのはニュース番組。この日のトップニュースは河井案里参院議員と夫の克行前法相の昨年7月の参院選広島選挙区を巡る買収事件。自民党から支給されて選挙資金1億5000万円を選挙区の議員、財界人等の地元の有力者に配りまくり、公職選挙方位は案で逮捕されている事件です。自民党の前職議員と折り合いが悪い安倍首相が、小飼の河井克行前法相の妻を定員二人の選挙区に立候補させるという強引な手法が引き金でした、それでも現金を配って票の自陣営への肩入れを依頼するとは、前代未聞、言語道断の買収事件で、河井夫妻が政治家の風神にも置けませんし、それどころか人はお金で動くも取れる行動はある意味人を見下している訳ですから「品格」なんてどこにもなく、夫妻は共に人として失格でしょう。
それにも増して私が驚いたのは、買収された地方議員の多さです。議員、市長、議長等々、検察から上聴取を受けながらも最初は受け取りを否定していた方々が、夫妻の逮捕後、買収の日時等を検察が詳しく把握している様子が報道されると、自身が起訴されることを恐れて、次々と受け取りを認め記者会見を開く様子は滑稽でしかありません。「国会議員からだから断れなかった」、「安倍首相からと言われて断れなかった」、「選挙の当選祝い」と言われた等々の言い訳を並べ、受け取りを否定した以前のコメントは嘘かと記者から追及されて返答に窮する様子を見ますと、政治家の品格のなさに呆れてしまいます。
100人弱の地方議員がお金を受け取ったとされていますから、政治家の感覚ではこの手のお金のやり取りに抵抗がない、あるいは日常的に行われていたと考えるのが自然です。つまりは政治家は何もしない、働かないのに人からお金をもらう事に抵抗がないと言う事でしょう。私は、お金は勤労の対価と頂くものと思っていますから何もしないで人からお金をもらう事にものすごく抵抗感があり、私にはとても出来ません。何もしないで人様からお金をもらう事は、施しを受ける事つまりは道ばたの物乞いとなってしまうと感じるからです。
日本人はお金を卑しい物と考えていると言われますが、お金が卑しいのではなく、お金の魔力に負ける人が卑しい人間になってしまう、つまりはお金が人を卑しくするのです。政治家の多くはお金の魔力に負けた卑しい品格のない人間だと言う事がこの買収事件から明らかになりました。
私が大学生の頃、亡くなった父親がよく言っていた事を思い出しました。社会に出たら、「タダ酒」、「タダ飯」だけは止めておけ、「タダ酒」を飲み、「タダ飯」を食った奴は、社会で信用されず、社会での成功はあり得ないと言っていたのです。私は社会に出てから極力「タダ飯」は食べない様にしてきましたし、特に利害関係がある取り引き業者さんからの「タダ飯」にありついたのタダの一度もありません。「タダ飯」、「タダ酒」にありつかず、労働の対価をしてのお金以外を手にしなかったことで、周りの人からの信用が生まれ、人に支えられる事で、私は今まで何とか無事に暮らせてこられてと思っています。
お金はそれ自体はタダ紙切れで綺麗でも、美味しい訳でもお気持ちが良い訳でもありませんが、魔力を持っており、人の心を惑わせ、真実、本質を多き隠すベールとなります。そして卑しい心持った人はお金の魔力ベールに惑わされ、悲惨な人生の末路をたどることになります。今回、贈収賄に問われている卑しい政治家も悲惨な人生の末路が待っているのは当然でしょうが、その政治家を選んでしまった市民にもそれなりの天罰を被る覚悟素する必要があるのかも知れません。贈収賄を行った河井夫妻を始とする政治家を非難するのは簡単ですが、その卑しい人間を選挙で選んで政治家にしてしまったのは私たち国民である事を忘れず反省する必要があるのです。同じ間違いを犯さず、次のリーダーたるべき政治家を選ぶためには、まず国民が反省するべきだと思います。
日本の明るい未来の為には、私達自身が今回の教訓を生かし、ドラマの主人公のように自分の正義に従って行動する強い心をもた品格のある政治家を見極められる賢い国民ならくてはいけません。「政治家の品格」を改めて思い起こすために、「ハケンの品格」を見るのも良いかと思いました。
実はこの原稿を「政治家の品格」のファイル名で保存しようとした所同盟はいるが存在するとコメントが出て、コラムのフォルダーを見てみたら2007年の8月、つまり13年前、「ハケンの品格 シリーズ1」が放送されていた年にも「政治家の品格」というタイトルのコラムを書いていました。良かったら「政治家の品格 パート1」もご覧下さい。
ご存じかも知れませんが、「ハケンの品格」は篠原涼子さんが演じる無数の資格を持ったスーパー派遣社員が、派遣社員を軽んじる大会社の正社員や旧態依然とした社内ルール、パワハラ、モラハラ、セクハラ等々のハラスメントに立ち向かい打ち負かす勧善懲悪ドラマです。ドラマのタイトルの「品格」とは何でしょうか?何となくイメージが湧きますが、辞書を引いても「その人やその物に感じられる気高さや上品さ」なんて書いてあるだけで、具体的のどう言うことなのか今一歩ピンと来ません。しかし、ドラマを見ると脚本家が言いたい「品格」の意味が分かります。仕事を遂行する優れた能力を持っていることもさることながら、上司や周りからの評価を気にせず、人の意見に左右されず自分の正義に従って行動する強い心こそが品格であると。後で知りましたが「ハケンの品格」の脚本は『Doctor-X 外科医・大門未知子』と同じ中園ミホさんだと聞いて、どちらもの主人公もお金や地位や世間体よりも自分の良心に従って生きているのを見るとこれが中園ミホさんの理想とする人間像であり、そのドラマがヒットすると言う事は社会一般の人が理想とするのも、「ハケンの品格」の大前春子であり、Doctor-X の大門未知子の様な生き方なのでしょう。 結局、誰もが自分の正義に従って行動する強い心を持ちたいと思い、それを持っている人を品格があると言って尊敬するのです。
常にハッピーエンドの「ハケンの品格」を見終わると、次に始まったのはニュース番組。この日のトップニュースは河井案里参院議員と夫の克行前法相の昨年7月の参院選広島選挙区を巡る買収事件。自民党から支給されて選挙資金1億5000万円を選挙区の議員、財界人等の地元の有力者に配りまくり、公職選挙方位は案で逮捕されている事件です。自民党の前職議員と折り合いが悪い安倍首相が、小飼の河井克行前法相の妻を定員二人の選挙区に立候補させるという強引な手法が引き金でした、それでも現金を配って票の自陣営への肩入れを依頼するとは、前代未聞、言語道断の買収事件で、河井夫妻が政治家の風神にも置けませんし、それどころか人はお金で動くも取れる行動はある意味人を見下している訳ですから「品格」なんてどこにもなく、夫妻は共に人として失格でしょう。
それにも増して私が驚いたのは、買収された地方議員の多さです。議員、市長、議長等々、検察から上聴取を受けながらも最初は受け取りを否定していた方々が、夫妻の逮捕後、買収の日時等を検察が詳しく把握している様子が報道されると、自身が起訴されることを恐れて、次々と受け取りを認め記者会見を開く様子は滑稽でしかありません。「国会議員からだから断れなかった」、「安倍首相からと言われて断れなかった」、「選挙の当選祝い」と言われた等々の言い訳を並べ、受け取りを否定した以前のコメントは嘘かと記者から追及されて返答に窮する様子を見ますと、政治家の品格のなさに呆れてしまいます。
100人弱の地方議員がお金を受け取ったとされていますから、政治家の感覚ではこの手のお金のやり取りに抵抗がない、あるいは日常的に行われていたと考えるのが自然です。つまりは政治家は何もしない、働かないのに人からお金をもらう事に抵抗がないと言う事でしょう。私は、お金は勤労の対価と頂くものと思っていますから何もしないで人からお金をもらう事にものすごく抵抗感があり、私にはとても出来ません。何もしないで人様からお金をもらう事は、施しを受ける事つまりは道ばたの物乞いとなってしまうと感じるからです。
日本人はお金を卑しい物と考えていると言われますが、お金が卑しいのではなく、お金の魔力に負ける人が卑しい人間になってしまう、つまりはお金が人を卑しくするのです。政治家の多くはお金の魔力に負けた卑しい品格のない人間だと言う事がこの買収事件から明らかになりました。
私が大学生の頃、亡くなった父親がよく言っていた事を思い出しました。社会に出たら、「タダ酒」、「タダ飯」だけは止めておけ、「タダ酒」を飲み、「タダ飯」を食った奴は、社会で信用されず、社会での成功はあり得ないと言っていたのです。私は社会に出てから極力「タダ飯」は食べない様にしてきましたし、特に利害関係がある取り引き業者さんからの「タダ飯」にありついたのタダの一度もありません。「タダ飯」、「タダ酒」にありつかず、労働の対価をしてのお金以外を手にしなかったことで、周りの人からの信用が生まれ、人に支えられる事で、私は今まで何とか無事に暮らせてこられてと思っています。
お金はそれ自体はタダ紙切れで綺麗でも、美味しい訳でもお気持ちが良い訳でもありませんが、魔力を持っており、人の心を惑わせ、真実、本質を多き隠すベールとなります。そして卑しい心持った人はお金の魔力ベールに惑わされ、悲惨な人生の末路をたどることになります。今回、贈収賄に問われている卑しい政治家も悲惨な人生の末路が待っているのは当然でしょうが、その政治家を選んでしまった市民にもそれなりの天罰を被る覚悟素する必要があるのかも知れません。贈収賄を行った河井夫妻を始とする政治家を非難するのは簡単ですが、その卑しい人間を選挙で選んで政治家にしてしまったのは私たち国民である事を忘れず反省する必要があるのです。同じ間違いを犯さず、次のリーダーたるべき政治家を選ぶためには、まず国民が反省するべきだと思います。
日本の明るい未来の為には、私達自身が今回の教訓を生かし、ドラマの主人公のように自分の正義に従って行動する強い心をもた品格のある政治家を見極められる賢い国民ならくてはいけません。「政治家の品格」を改めて思い起こすために、「ハケンの品格」を見るのも良いかと思いました。
実はこの原稿を「政治家の品格」のファイル名で保存しようとした所同盟はいるが存在するとコメントが出て、コラムのフォルダーを見てみたら2007年の8月、つまり13年前、「ハケンの品格 シリーズ1」が放送されていた年にも「政治家の品格」というタイトルのコラムを書いていました。良かったら「政治家の品格 パート1」もご覧下さい。