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院長コラムで樋口矯正歯科クリニックの院長を知ろう!河合悟が思うこと。

哲学対話院長コラム

2019/06/06 現代社会

 5月中旬の日経電子版のストーリーに「キセキの高校」と言う5回の連載記事が載りました。「キセキの高校」の連載第一回の副タイトルは「偏差値40から上智大 頑張れたのはなぜ」。このタイトルの通り、偏差値40で東京都立高校の中でも学力レベルでは"底辺校"である都立大山高校(板橋区)が、この3年上智など有名私大に加え、国公立大への合格者が相次いで排出している事の原動力となっている取り組みを紹介する記事です。

 都立大山高校が行いっている取り組みは「哲学対話」と名付けられたカリキュラムです。哲学と言うと「神の存在」とか「人生の意味」とかについて考える、あるいはカントやヘーゲルのような哲学者の言葉を理解しようとする様な現実の生活とは全く関係のない難しい事と感じますが、この「哲学対話」とは、自分達の身近なテーマに付いて10~20人ほどが車座になって対話する(話し合う)と言う至って簡単なことです。

 哲学対話のルールとして何を言ってももよいが、相手の意見に否定的なことは言わない、そして意見は経験を元に話すこと。この話し合いで「問う、考える、答える。また問い、考え、答える。」をくり返し、人から習うのではなく生徒自身が考えると言う主体性を持つようになるのが狙いです。


   記事によれば元々は1960年代からアメリカで広がりだした子どもたちが共に問い、話し合うプロセスを通じ、探究心や考える力を育てることを目的とした「子どものための哲学(Philosophy for Children)」と呼ばれる教育プログラムの一つです。子供達が問う。考える。語る。自分自身で考え,意見を交換し合うことを繰り返し、物事の本質のたどり着こうとすることこそが哲学と言う事です。


 そして、子供達が自分自身で考え抜いて物事の本質に物事の本質にたどり着いた時、自分の進むべき道がみえ、やるべき事が分かる、自分で見つけたからこそモチベーションが上がり、結果もついてくると言う好循環を生むのです。本来なら、自分一人でも考えれば良いのかも知れませんが、それが中々難しいのでみんなで話し合うことをきっかけにする事が哲学対話だと思います。


 この「子どものための哲学(Philosophy for Children)」を日本に紹介した東京大学教授の梶谷真司は哲学対話に、梶谷は「全ての人のための哲学(Philosophy for Everyone)」と名前をつけ、子供だけでなく大人も対象にして小学校の教室や、子育て中の母親のサークル、過疎の自治体などにも出向いて、哲学対話を実践しています。


 哲学対話は「なぜ?」「どうして?」と繰り返し問われることに対して、自分の具体的な経験や、自分の考えを話すことで、物事の本質にたどり着こうとする事、言い換えれば「そもそも」と考えてみることです。一般的に人は困ったり、悩んだり、決断しようとした時、目先に事実にばかり目が行きがちですが、その時に「そもそも」と考え直してみると解決することは多いものです。


 私自身を思い起こせば、高校生の頃の進路を悩んでいた時に一般的な学生はどこの大学に行くかを考えるのでしょうが、大学選びの前に「そもそも」自分は何がしたいのか?自分には何が向いているのか?自分が社会に対して何をしたら役に立てるのか?と考えあぐみ、友達と将来について語り合い、そして導き出したのが歯科医という仕事でした。以前のコラムにも書きましたが、我が強く、組織の一員として仕事をすることが難しいと思い、自分で独立できる仕事、物を作る事が好きなので実際の現場での作業が良い、そして社会に貢献できると順に考えていった結果でした。


 私の通っていた高校は自由で補習も全く有りませんでしたから、福岡の高校生に比べてはるかに自由な時間があり、友達と様々なことについて語り合う余裕がありました。この自由な時間が有ったからこそ、「そもそも」と考えることが出来た気がしています。哲学対話には出会いませんでしたが、知らず知らずの内に哲学対話を行っていたのです。


 私はその後も、困難にぶつかる度に「そもそも」を考えることで難局を乗り切ってきました。クリニックが不況の波にのまれ経営の危機に瀕した時も「そもそも、何のために歯科医になったのか?」と考え抜いた結果、私が矯正歯科医になったのは「歯並びを治すことではなく、患者さんを幸せにすること」だと気づき、その信念に基づいて診療に励んだところ、クリニックも新たな成長軌道に乗ることが出来ました。


 「そもそも」と考える、物事の本質を考える哲学対話は非常に優れた取り組みだとは思いますが、哲学対話に参加する機会も簡単に見つけることは出来ませんし、おまけに忙しい現代社会では物事の本質を求めてトコトン考え抜く時間さえないのが現実です。優秀な子供でも小さい時から習い事や勉強に追われ、習う事、覚える事は身に付いているでしょうが、物事を深く考える習慣が身に付く事は希だと追います。


 しかし今迄のような知識優先の詰め込み学習は、いずれ意味のない時代がやってくる事でしょう。今迄は個人の学習能力、学習努力で意識量や情報量に大きな差が生まれ、それが事業や仕事の結果を左右していましたが、コンピューターとデジタル通信網の発達、つまりはスマートフォンの普及により、この格差は事実上なくなってしまいました。東大卒のエリートの知識量も手のひらに載るスマホのグーグル検索には太刀打ちできないのは明白です。


 そこで重要となるのは、「そもそも」と物事の本質に立ち返って考える習慣です。仕事が上手く行かず行き詰まった閉塞感を打開するには、「まったく新しい何かがほしい。」と誰もが思いますが、その時「では新しいとは何か?」「そもそも私は何をしたいのか?」、考え、突き詰めることが出来るかどうかが、閉塞感を打破し成功する為の鍵だと思います。


 たとえ哲学対話の場に参加できなくとも、学生には過度な学習時間の要求をやめ、自由に考える時間を与え、私たちは情報を得る為に手放せないスマホをしばし机の上に置き、ことある毎に「そもそも」と物事の本質を考える習慣を付ける事が、今後のAIが活躍する社会で幸せに生きる秘訣だと思います。

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