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院長コラムで院長を知ろう!矯正歯科専門医 河合悟が思うこと。

令和こそは「頑張ったら報いられる」社会へ院長コラム

2019/05/06 現代社会

 時代は平成から令和へと代わり、日本中が時ならぬ祝賀ムードで盛り上がっています。閉塞した平成の時代からが終わり、再び躍進する明るい未来が到来することを国民全体が願っているようです。私もそんな明るい日本の未来のを信じたいところですが、4月の始に話題になった東京大学入学式での上野千鶴子名誉教授の式辞を読んで、日本の未来を心配せずにはいられませんでした。

 名誉教授の上野千鶴子さんは日本のフェミニスト(女性解放論者)の第一人者ですから、まず最初に昨年の東京医科大学不正入試問題を例に医学部入学者に女性が少ない性的差別の存在を述べています。しかし現実問題として長時間に及ぶ外科手術のように体力が必要な診療科の医師の数が男女同数で良いのか?そこに体力という尺度から性差を無視して良いのかと言う疑問もあり、民間組織である私立大学が自ら決めた選抜基準で入試を行う事が全て悪いか?学業成績だけで合否を判定することが良いことなのか?医師のような人間性を問われる職業人を育てる上で入学試験の成績が合否の全てで良いのか?もしそうならば、私立大学の存在意義もなくなってしまします。例えば医療過疎の地域の病院の子供を、都会で教育環境が整った中で育ってきた受験生と入試成績だけを基準として比較し、劣っているから不合格としてしまえば、医療過疎地域の病院の後継者はいなくなり、地方の医療は崩壊します。そうした幅広い事情を加味した尺度から入試の合否を判定していけるのが民間組織である私立大学の存在意義だと思うのです。上野先生は常々多様性の重要さを説いておられますが、男女平等と言う一面的な尺度だけで、医学入試問題を語るのは多様性を重視する姿勢とはとても思えません。

 そしてまた上野先生は東大入学者の女性比率が「2割の壁」を超えないことを挙げ、「社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。」と言われています。東大の入試は公平に行われていますから志願者自体に女性が少ないのでしょうが、その原因は社会でつまりは仕事上での評価が男女平等でないから、女性が東大行く意味が社会で女子受験生に認められていないと言いたいのでしょう。

 上野先生はまだまだ社会に女性差別が横行していると言われていますが、それが女性差別なのか?単なる、性差による違いなのか?疑問も多くあります。女性の社会進出が進んでいない例として女性議員の少なさがしばしば例に挙がりますが、私から見ると不思議でなりません。戦前と異なり有権者の半数は女性ですから、男性が情勢を差別して女性議員の誕生を阻むことは出来ません。女性有権者が除せ議員が良いと思えば同数を当選させることは十分可能なはずですが、実際には女性の立候補者が少ないために女性議員が少ないのが現実です。男性が差別しているのではなく、女性自身が性差による違いを意識している結果が立候補者の数の違いとなっているように思えます。

 私自身は市町村議員のような生活に密着した問題を扱う地方議員は、男性よりも女性の方がよほど知識も豊富なので良いと思うのですが、中々立候補される方が少ないのが残念なくらいです。


 つまり上野先生の言われる女性差別の中には、女性自身が女性の特性を自覚している事による物もあると考えられるのです。人間も動物的ですから、性別による肉体的、精神的な違いがある事を誰も否定することは出来ません。女性にしかできないこと、女性に向いていることが有る様に、男性にしかできないこと、男性が向いていることもあるのです。無理に同じ事をするのではなく、男性、女性それぞれにあった事、それぞれに合った人としての役割を果たすことが人の幸せに繋がると思います。

 そして、そこで重要なのがそれが同じように評価させることです。今までの社会システムでは。社会で仕事をする人は高い評価を得て、家庭を守る、子育てをする女性の評価が低かったことが女性蔑視と言われる最大の原因です。


 ですから、女性差別を無くすには男女が同じように仕事をするのではなく、家庭内での役割を社会での役割と同じように評価する社会システムを作る必要があるのです。その為の第一歩は、保育士の仕事の評価つまり賃金の向上です。子供を育てるという母親の仕事の変わりであり、将来の社会を担う子供を育てる訳ですから、何にもまして重要な仕事なのは異論の無いところでしょう。しかし、その評価、賃金はあまりに低い。これを命を預かる医師と同程度の賃金にしたらどうでしょう。これこそが情勢の役割指標化象徴となり、女性差別の解消の第一歩になるはずです。


 また上野先生は新入生に公正に報われる入試制度のおかげで頑張ったから報われて東大に入学できましたけれど、頑張ってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っていますが、実は新入生は勉強が得だったかけかも知れません。人はそれぞれ、勉強が得意だったり、スポーツが得意だったり、芸術的センスに優れていたり、あるいはコミュニケーション能力が優れていたりと、違うのが当たり前で、これこそが多様性です。上野先生が言われる頑張っても報われない社会とは、何を指すのですか?勉強しても評価されない社会?学歴が役に立たない社会?を意味しているのですか?なんだかよく分かりません。


 そして、最後に最も残念な言葉が続きます。「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。」えっ?一体誰に向かってこんな事言っているの?小学校?いや中学校?と叫びそうになりました。何のために一生懸命勉強してきたのか?それさえも分かっていない学生を入学させるのが東京大学なのか!?


 社会のために、人を幸せにするために頑張ることが人生の目的であり、勉強もその目的を達成する珠根の手段の一つに過ぎないことを今さら教えないといけないとは情けないことです。そんな情けない学生が入学してきたと世界に向かって発信した上野先生も情けない。結局、先生が言われる「頑張ったら報われる社会」とは「自分が自分のために頑張ったら、自分が幸せになる社会」なんだと理解しました。


 私は、人それぞれが、それぞれの性差も含めた持つ多様な能力、可能性を人のために発揮して、社会や人のために頑張った人が報いられる社会が令和の時代に実現できることを願っています。しかし、日本のリーダーとなるべき人材を育てるはずの東京大学の現状がこれでは、日本の将来が明るいと信じる事は出来ませんでした。真に多様性を認めた教育制度の改革で、令和の日本が「頑張ったら報いられる社会」になる事を願うばかりです。

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