民主党政権への期待院長コラム
2009/10/07
いよいよ民主党政権が始動しました。連日、今までの自民党政権とは違ったことが次々と報道されています。子供手当、農家の個別所得保障、ダム事業の中止、官僚の国会答弁の禁止などなど数え上げればきりがありません。
そして、その全てが過去に例がないことなので、結果がどうなる事かは誰にも予想ができません。一から十まで初めての試み、これはすごいことでしょう。当然批判や実現を疑問視する意見も多数見受けられます。しかし、世論調査では鳩山内閣の支持率は70%を越え、以前の自民党政権に比べ大変高い支持率を誇っています。つまり国民は結果はどうなるか分からないが、民主党の未知への挑戦に期待しているのではないでしょうか?
私も民主党政権の訴える政策の中で期待する事があります。それは、子供手当や農家の個別所得保障の国民への直接給付です。過去の政権では、子供の子育て支援と言えば保育所や幼稚園への施設整備等の補助金、農業支援と言えば農協を通じての設備、機械の購入補助や公共事業として土地改良事業などで全てが組織に対する支出ばかりでした。
これに対して、民主党の子供手当や農家の所得捕縄は、直接国民にお金を渡し、それの使い方は、国民に委ねるという物です。補助金を組織に渡すことと国民に渡すことの違いは、過去の日本の行政を根底から変える可能性を持っていると思います。
組織に対して補助金を渡せば、そこには必ず「利権」が生まれ、天下りや族議員を生む事になります。逆に個人に補助金を渡せば、そのお金によって受けるサービス(教育や器材)についての個人のチェックがより厳しいものになり、効率的にお金が使われるようになるはずです。それなのに以前の政権では、何故直接給付が行われなかったのか?それは多分、官僚(公務員)性善説、一般市民性悪説に基づいているように思います。公務員は一般市民よりも教育程度も高く、人格も勝れていて、公僕である公務員は私利私欲に走ることはあり得ないので税の使い道も一般市民に任せるよりも信頼できる。これには逆に一般市民に直接給付すれば、目的としたようにお金を使わない(例えば子供手当を親がギャンブルに使ってしまうとか)のではと、一般市民は信用できない言う認識から来ている訳です。こんな日本の行政システムは、日本が近代国家としての基盤を確立した明治時代に始まりました。その頃一般庶民と公務員の間には歴然とした学歴格差が有ったために、一般市民よりも公務員を信用する制度ができ、それが現在まで続いていたのではないでしょうか?
しかし高学歴社会となった現在、一部の官僚や政治家あるいは公務員による税の支出のチェックよりも一般国民にチェックを任せた方がより合理的だと思います。税の支出の無駄をなくすと何時の政権も叫んできましたが、それなら一般市民の力を信じるのが一番の早道でしょう。それには、直接給付しか有りません。
介護や医療の分野でも直接給付にすれば無駄を省くことは可能です。例えば要介護1度と診断されたら現金を支給され、そのお金で介護施設に入所するとか自宅にヘルパーさんに来て貰うとか、あるいは家族が面倒をみる、それを自分で決めてもらうのです。そうすれば、自分でお金を払うので不必要な出費はしなくなるし、受けるサービスについても厳しい目で見るので事業者のサービスレベルも上がります。
不正受給等の多少の不正は有るかも知れませんが私には良いことずくめと思われる直接給付ですが、自民党政権では、族議員の「しがらみ」と過去の政策の自己否定の為に不可能でした。しかし、そうした制約のない民主党政権では、様々な分野で税配分における直接給付が可能だと思います。様々な批判は有るでしょうが、それは過去の「利権」や「しがらみ」が有るからと割り切り、ここは一つ勇気を持って直接給付による新しい行政システムを民主党政権に構築してもらいたい物です。
そして、その全てが過去に例がないことなので、結果がどうなる事かは誰にも予想ができません。一から十まで初めての試み、これはすごいことでしょう。当然批判や実現を疑問視する意見も多数見受けられます。しかし、世論調査では鳩山内閣の支持率は70%を越え、以前の自民党政権に比べ大変高い支持率を誇っています。つまり国民は結果はどうなるか分からないが、民主党の未知への挑戦に期待しているのではないでしょうか?
私も民主党政権の訴える政策の中で期待する事があります。それは、子供手当や農家の個別所得保障の国民への直接給付です。過去の政権では、子供の子育て支援と言えば保育所や幼稚園への施設整備等の補助金、農業支援と言えば農協を通じての設備、機械の購入補助や公共事業として土地改良事業などで全てが組織に対する支出ばかりでした。
これに対して、民主党の子供手当や農家の所得捕縄は、直接国民にお金を渡し、それの使い方は、国民に委ねるという物です。補助金を組織に渡すことと国民に渡すことの違いは、過去の日本の行政を根底から変える可能性を持っていると思います。
組織に対して補助金を渡せば、そこには必ず「利権」が生まれ、天下りや族議員を生む事になります。逆に個人に補助金を渡せば、そのお金によって受けるサービス(教育や器材)についての個人のチェックがより厳しいものになり、効率的にお金が使われるようになるはずです。それなのに以前の政権では、何故直接給付が行われなかったのか?それは多分、官僚(公務員)性善説、一般市民性悪説に基づいているように思います。公務員は一般市民よりも教育程度も高く、人格も勝れていて、公僕である公務員は私利私欲に走ることはあり得ないので税の使い道も一般市民に任せるよりも信頼できる。これには逆に一般市民に直接給付すれば、目的としたようにお金を使わない(例えば子供手当を親がギャンブルに使ってしまうとか)のではと、一般市民は信用できない言う認識から来ている訳です。こんな日本の行政システムは、日本が近代国家としての基盤を確立した明治時代に始まりました。その頃一般庶民と公務員の間には歴然とした学歴格差が有ったために、一般市民よりも公務員を信用する制度ができ、それが現在まで続いていたのではないでしょうか?
しかし高学歴社会となった現在、一部の官僚や政治家あるいは公務員による税の支出のチェックよりも一般国民にチェックを任せた方がより合理的だと思います。税の支出の無駄をなくすと何時の政権も叫んできましたが、それなら一般市民の力を信じるのが一番の早道でしょう。それには、直接給付しか有りません。
介護や医療の分野でも直接給付にすれば無駄を省くことは可能です。例えば要介護1度と診断されたら現金を支給され、そのお金で介護施設に入所するとか自宅にヘルパーさんに来て貰うとか、あるいは家族が面倒をみる、それを自分で決めてもらうのです。そうすれば、自分でお金を払うので不必要な出費はしなくなるし、受けるサービスについても厳しい目で見るので事業者のサービスレベルも上がります。
不正受給等の多少の不正は有るかも知れませんが私には良いことずくめと思われる直接給付ですが、自民党政権では、族議員の「しがらみ」と過去の政策の自己否定の為に不可能でした。しかし、そうした制約のない民主党政権では、様々な分野で税配分における直接給付が可能だと思います。様々な批判は有るでしょうが、それは過去の「利権」や「しがらみ」が有るからと割り切り、ここは一つ勇気を持って直接給付による新しい行政システムを民主党政権に構築してもらいたい物です。