”産む機械”と”赤ちゃんポスト”院長コラム
2007/02/01
このところ毎日”産む機械”のニュースが新聞、テレビで盛んに報じられています。柳沢伯夫厚生労働相が島根県松江市での集会で述べた「(女性は)産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」という発言に非難が殺到し、大臣の辞職騒ぎにまで発展した大問題です。今後の展開は分かりませんが、テレビカメラの前で、口では謝罪しぺこぺこと頭を下げる大臣の心の中にやはり女性を軽んじる気持ちが有ったのは確かでしょう。そんな気持ちの持ち主が、少子化問題に取り組まなくてはならない厚生労働相では、問題が解決するはずはありません。院長トークの中でも述べたことがありますが(2002/11/9、2004/3/17、2006/9/1)、社会全体が、女性の母親としての役割の重要さを理解してこそ、初めて子育てのしやすい社会が実現でき、ひいては女性が子供を産み、育てようと言う気持ちにるのではないでしょうか?女性は本来、優しさ、慈しみの心の心に溢れ、母性本能を持っているのですから、子供を産み育てること望むのが神様から授かった自然な姿のはずです。それを阻む要因が今の社会にあるから少子化が進むのでしょう。その一端が大臣の発言のような、女性を蔑視する気持ちではないのかともいます。
この”産む機械”のニュースを聞いたとき私はなぜか昨年の秋にニュースになっていた”赤ちゃんポスト”のことを思い出しました。”赤ちゃんポスト”とは熊本市の慈恵病院が設置を目指してる、様々な事情で子育てができない親が人知れず乳児を病院に託す事ができる施設のことで、病院側は「捨てられて命を落とす赤ちゃんや中絶せざるを得ない母親を救いたい」としています。しかし、これには「子捨て」を助長するとした反対意見もあるようです。しかし、よく考えてみて下さい。わざわざ赤ちゃんポストに子供を託しに来る親が、子供のことを考えないような親でしょうか?様々な事情で子供の将来の幸せを願い子を託すのではないでしょうか?母親の子供への愛情を思えば子を託す事の悲しさつらさは察するに余りある物があるはずです。その心を素直に受け入れられない社会に”産む機械”の発言に通じる物を私は感じたのです。
不憫な状況でこの世に生を受けた子供を社会が育てる、そんなことも受け入れられないような社会で少子化を防げるわけはありません。どんな状況下でも、子供が幸せに暮らしていける社会を実現してこそ、安心して供を産み、育てられる社会ではないでしょうか? 女性の母親としての役割の重要性を認め、母親の愛情を信じ、そして社会全体で子供を育てていくんだという社会のコンセンサスが得られたとき初めて出生率が向上するのではないでしょうか?
この”産む機械”のニュースを聞いたとき私はなぜか昨年の秋にニュースになっていた”赤ちゃんポスト”のことを思い出しました。”赤ちゃんポスト”とは熊本市の慈恵病院が設置を目指してる、様々な事情で子育てができない親が人知れず乳児を病院に託す事ができる施設のことで、病院側は「捨てられて命を落とす赤ちゃんや中絶せざるを得ない母親を救いたい」としています。しかし、これには「子捨て」を助長するとした反対意見もあるようです。しかし、よく考えてみて下さい。わざわざ赤ちゃんポストに子供を託しに来る親が、子供のことを考えないような親でしょうか?様々な事情で子供の将来の幸せを願い子を託すのではないでしょうか?母親の子供への愛情を思えば子を託す事の悲しさつらさは察するに余りある物があるはずです。その心を素直に受け入れられない社会に”産む機械”の発言に通じる物を私は感じたのです。
不憫な状況でこの世に生を受けた子供を社会が育てる、そんなことも受け入れられないような社会で少子化を防げるわけはありません。どんな状況下でも、子供が幸せに暮らしていける社会を実現してこそ、安心して供を産み、育てられる社会ではないでしょうか? 女性の母親としての役割の重要性を認め、母親の愛情を信じ、そして社会全体で子供を育てていくんだという社会のコンセンサスが得られたとき初めて出生率が向上するのではないでしょうか?