「物作り」を失う社会─トランプ関税と微細運動能力の低下から考える未来院長コラム
2025/06/01 社会問題
アメリカのトランプ前大統領による関税政策が、連日テレビ・新聞・インターネットで報じられています。とりわけ注目を集めているのが、自動車産業です。日本製の輸入車には25%もの関税が課せられ、トヨタをはじめとする自動車メーカーの大幅な減益が予想され、大きな騒ぎとなっています。自動車以外の分野でも「相互関税」と称し、すべての輸入品に10%の関税をかけるという大統領の意向を受け、アメリカ市場を主要な顧客とする企業は対応を迫られています。
そんな理不尽とも言えるトランプ関税の影響を回避すべく、多くの企業がアメリカ国内での現地生産に舵を切り、工場の建設を進めているというニュースを見ました。最新の設備が整い、まもなく操業を始める工場の様子が紹介されていましたが、思わぬ大きな問題が発生しているといいます。その問題とは、機械や建物ではなく、工場で働く人材の確保ができない、ということでした。
トランプ大統領は「関税によって衰退した製造業を復活させ、雇用を生み出し、中産階級を守る」と語っていましたから、私は当然、工場で働きたいという労働者が余っているものと思っていました。しかし、実際には全く違っていたのです。工場長の話によると、1ヶ月前の募集には100名が応募し、60名を採用したものの、実際に出社したのは30名足らず。そして現在残っているのは、わずか2名とのことでした。
なぜこれほど工員の確保が難しいのかと尋ねると、「アメリカの製造業が長く衰退してきたことで、工場で働いた経験を持つ人がいなくなり、現場の仕事を理解していない人が多くなっている。小売や接客などのサービス業しか経験がない人にとって、工場の仕事はギャップが大きく、多少収入が低くても慣れたサービス業を選んでしまうのではないか」という答えが返ってきました。これが現実です。つまり、いくらトランプ大統領が関税という手段で世界各国とディールを行い、工場誘致を進めても、アメリカではもはや製造業を復活させることは難しいのです。アメリカは「物を作れない国」になってしまったのかもしれません。
アメリカの製造業は1980年代から、日本やドイツの製品に品質や価格で太刀打ちできず、次第に衰退していきました。しかし、その衰退を補って余りあるほど成長したのが金融業でした。1990年には、アメリカのGDPに占める金融業の割合が製造業を上回り、アメリカは金融資本主義の国となったのです。それから30年以上が経ち、製造業は完全に過去のものとなりつつあるのではないでしょうか。「物を作るより、手っ取り早くお金を稼ぐ」。それが今のアメリカ社会の風潮なのかもしれません。
日本でも、現場で働く若者が減少し、製造や建設現場の人手不足は深刻です。そんな中、5月19日付の日経新聞に「手先が不器用になる子どもたち、“驚くべき異変”を専門家が危惧」という記事が掲載されました。記事によると、米国教育関連メディア「エデュケーション・ウィーク」による2024年の調査で、教師の77%が「低学年の子どもたちは5年前の同学年に比べ、鉛筆やペン、はさみをうまく扱えない」と回答。69%が「靴ひもを結べない」と答えました。他にも、ファスナーの開閉や本のページをめくる動作ができない、スプーンすらきちんと持てない子どもも増加しているとのことです。このような「微細運動能力」の低下は、スクリーンタイムの増加に原因があるとされています。画面を見る時間が長くなることで、手を使って「作る・組み立てる・描く」といった活動が減少し、手先を動かす経験が不足してしまっているのです。そのため、専門家は「日常生活の中に手先を使う動作を取り入れることが必要」と提案しています。たとえば、クーポンを切る、一緒に料理をする、通学途中で石を探す、水をコップに注ぐ、お風呂でスポンジを絞る——これらの何気ない動作の中に、微細運動を育む機会があるのです。
「作ること」よりも「稼ぐこと」を重視する社会の風潮に加え、次世代を担う子どもたちの手先の能力が低下すれば、ますます物作りの技術は衰退するでしょう。パティシエの繊細なお菓子作り、宮大工の職人技、さらには母の包丁さばきで作る家庭料理すら、失われてしまうかもしれません。
考えてみれば私の仕事である矯正歯科の治療方法もいつの間にか技術を必要としない方法を求めて、「誰でも簡単に」につき突き進んでいっています。その際たる物がマウスピース矯正でしょう。「誰でも簡単に」できるマウスピース矯正では、口腔内をスキャンするだけで、業者が装置を作成し、歯科医はそれを歯科医はそれを患者さんに売るのみ。技術も知識も、さほど必要とされません。私が行っているブラケットとワイヤーを用いたスタンダードエッジワイズ法では、患者さんごとにワイヤーを手で曲げる必要があり、微細運動能力なしには成り立ちません。微細運動能力を最大限活用し鍛錬を重ねて初めて治療技術を身につけることができるのです。「誰にでも簡単に」で千差万別の患者さんの治療が満足にできるとは私には思えないので、一人一人の患者さんに対して各に適したワイヤーを曲げるオーダーメイド治療を行っているのです。
試行錯誤と鍛錬を重ねて初めて技術が身につく、これが「物作り」なのです。知識の習得よりも、技術の習得には時間とエネルギー、そしてある程度の犠牲が必要です。しかし、人類の歴史は「物を作ること」から始まりました。石器を削り、土器を焼き、作物を育てたところから、文明が発展してきたのです。「物を作る」ことこそが、人間と他の動物の大きな違いだとも言えるでしょう。
そして今、進化しすぎて人が「物作り」をできなくなったとき、人類の未来はどうなるのか?私は大いに不安を感じています。だからこそ、社会全体が「物作りの現場の重要性」を再認識し、現場で働く労働者の社会的評価をもっと高める必要があります。評価が上がれば、収入も自然と上がり、教育においても重視される価値観が変化し、子どもたちの微細運動能力も再び向上していく。私はそう信じ、未来への希望を持ち続けたいと思っています。
そんな理不尽とも言えるトランプ関税の影響を回避すべく、多くの企業がアメリカ国内での現地生産に舵を切り、工場の建設を進めているというニュースを見ました。最新の設備が整い、まもなく操業を始める工場の様子が紹介されていましたが、思わぬ大きな問題が発生しているといいます。その問題とは、機械や建物ではなく、工場で働く人材の確保ができない、ということでした。
トランプ大統領は「関税によって衰退した製造業を復活させ、雇用を生み出し、中産階級を守る」と語っていましたから、私は当然、工場で働きたいという労働者が余っているものと思っていました。しかし、実際には全く違っていたのです。工場長の話によると、1ヶ月前の募集には100名が応募し、60名を採用したものの、実際に出社したのは30名足らず。そして現在残っているのは、わずか2名とのことでした。
なぜこれほど工員の確保が難しいのかと尋ねると、「アメリカの製造業が長く衰退してきたことで、工場で働いた経験を持つ人がいなくなり、現場の仕事を理解していない人が多くなっている。小売や接客などのサービス業しか経験がない人にとって、工場の仕事はギャップが大きく、多少収入が低くても慣れたサービス業を選んでしまうのではないか」という答えが返ってきました。これが現実です。つまり、いくらトランプ大統領が関税という手段で世界各国とディールを行い、工場誘致を進めても、アメリカではもはや製造業を復活させることは難しいのです。アメリカは「物を作れない国」になってしまったのかもしれません。
アメリカの製造業は1980年代から、日本やドイツの製品に品質や価格で太刀打ちできず、次第に衰退していきました。しかし、その衰退を補って余りあるほど成長したのが金融業でした。1990年には、アメリカのGDPに占める金融業の割合が製造業を上回り、アメリカは金融資本主義の国となったのです。それから30年以上が経ち、製造業は完全に過去のものとなりつつあるのではないでしょうか。「物を作るより、手っ取り早くお金を稼ぐ」。それが今のアメリカ社会の風潮なのかもしれません。
日本でも、現場で働く若者が減少し、製造や建設現場の人手不足は深刻です。そんな中、5月19日付の日経新聞に「手先が不器用になる子どもたち、“驚くべき異変”を専門家が危惧」という記事が掲載されました。記事によると、米国教育関連メディア「エデュケーション・ウィーク」による2024年の調査で、教師の77%が「低学年の子どもたちは5年前の同学年に比べ、鉛筆やペン、はさみをうまく扱えない」と回答。69%が「靴ひもを結べない」と答えました。他にも、ファスナーの開閉や本のページをめくる動作ができない、スプーンすらきちんと持てない子どもも増加しているとのことです。このような「微細運動能力」の低下は、スクリーンタイムの増加に原因があるとされています。画面を見る時間が長くなることで、手を使って「作る・組み立てる・描く」といった活動が減少し、手先を動かす経験が不足してしまっているのです。そのため、専門家は「日常生活の中に手先を使う動作を取り入れることが必要」と提案しています。たとえば、クーポンを切る、一緒に料理をする、通学途中で石を探す、水をコップに注ぐ、お風呂でスポンジを絞る——これらの何気ない動作の中に、微細運動を育む機会があるのです。
「作ること」よりも「稼ぐこと」を重視する社会の風潮に加え、次世代を担う子どもたちの手先の能力が低下すれば、ますます物作りの技術は衰退するでしょう。パティシエの繊細なお菓子作り、宮大工の職人技、さらには母の包丁さばきで作る家庭料理すら、失われてしまうかもしれません。
考えてみれば私の仕事である矯正歯科の治療方法もいつの間にか技術を必要としない方法を求めて、「誰でも簡単に」につき突き進んでいっています。その際たる物がマウスピース矯正でしょう。「誰でも簡単に」できるマウスピース矯正では、口腔内をスキャンするだけで、業者が装置を作成し、歯科医はそれを歯科医はそれを患者さんに売るのみ。技術も知識も、さほど必要とされません。私が行っているブラケットとワイヤーを用いたスタンダードエッジワイズ法では、患者さんごとにワイヤーを手で曲げる必要があり、微細運動能力なしには成り立ちません。微細運動能力を最大限活用し鍛錬を重ねて初めて治療技術を身につけることができるのです。「誰にでも簡単に」で千差万別の患者さんの治療が満足にできるとは私には思えないので、一人一人の患者さんに対して各に適したワイヤーを曲げるオーダーメイド治療を行っているのです。
試行錯誤と鍛錬を重ねて初めて技術が身につく、これが「物作り」なのです。知識の習得よりも、技術の習得には時間とエネルギー、そしてある程度の犠牲が必要です。しかし、人類の歴史は「物を作ること」から始まりました。石器を削り、土器を焼き、作物を育てたところから、文明が発展してきたのです。「物を作る」ことこそが、人間と他の動物の大きな違いだとも言えるでしょう。
そして今、進化しすぎて人が「物作り」をできなくなったとき、人類の未来はどうなるのか?私は大いに不安を感じています。だからこそ、社会全体が「物作りの現場の重要性」を再認識し、現場で働く労働者の社会的評価をもっと高める必要があります。評価が上がれば、収入も自然と上がり、教育においても重視される価値観が変化し、子どもたちの微細運動能力も再び向上していく。私はそう信じ、未来への希望を持ち続けたいと思っています。