本音と建て前院長コラム
2024/09/01 社会問題
最近「本音と建て前」について考えさせられることがいくつかありました。 「本音」は 噓偽りのない本当の気持ちを表すであるのに対して、「建前」は本心を隠して表向きの言葉を伝えることですが、一般的な感覚としては嘘とまでは言えない偽りです。学生の頃の私の感覚では、大人の世界、社会人になったら自分の本音ばかり言っていたら出世もできない人世の落伍者になってしまう。大人になる、社会人になとは、 日常生活やビジネスシーンで、相手を尊重するために「建前」をうまく使って円滑なコミュニケーションが取れるようになることだとイメージしていました。
しかし、最近の社会情勢を見ていると本音と建て前の差が開きすぎて、私から見ると嘘を通り過ぎて詐欺まがいの「本音と建前」が横行している様に思えてなりません。政治の世界で言えば、自民党安倍派のパーティ券裏金事件、つい先日の自民党の広瀬めぐみ参議院議員の秘書給与詐取事件等々、政治資金に関する事件のほとんどは、「政治資金は公明正大に処理しています。」と言う建前ですが、本音は「選挙で当選するためにはどんな方法でもお金を手に入れるんだ。」と言うことです。事件が発覚すると建前上は反省の弁を述べますが、政治家の本音は「誰でもやっているのに」、「運が悪かった」、「信頼しいた奴に裏切られた」と言ったところでしょう。本音で反省しているなら議員も辞職して二度と国民の代表である政治家を目指したりしないでしょうが、離党が精一杯で多くの議員は辞職さえしません。
政治家の不祥事に関する「本音と建て前」だと庶民にはあまり関係ないようにじますが、身近な私の仕事、歯科医療の領域でも「本音と建て前」が横行していますから注意が必要です。
先日、運動中に歯が割れた事をきっかけに近所の歯科医院を受診され、根本的な歯科治療が必要と指摘された患者さんが、詳しい検査結果と治療費を含む治療計画書を持参してセカンドオピニオンを求めて受診されました。診察させて頂きますと、虫歯で奥歯を何本も抜歯、虫歯治療を途中で中止したままの歯、それに加えて歯並びも悪く、多くの歯科治療を必要とする状態でした。治療計画書を見ると、CTを含む多くの検査が行われ、その中には矯正歯科で行われるセファロX線検査など歯並びに関するも行われていました。そして治療計画は、インプラントと歯を削って、被せて歯の形を変えてなんとか咬めるようにする方針、歯科の専門用語で言うと補綴処置による治療方針で費用は200万円を超えていました。患者さんによれば矯正治療を含む治療方針は時間も、費用もかかるからと補綴処置による方針を勧められたとのことでした。
そこで私のセカンドオピニオンです。私は、神経を取ってしまって寿命が短い歯を数本抜歯して矯正治療を行い咬み合わせを正常にします。その後、必要であれば失った奥歯の部分にインプラントあるいは義歯で歯を作る方針です。一般歯科の治療計画では、異常な咬み合わせに合わせて歯を作る事ですから、異常な上に異常を重ねることになりどう考えても歯が長持ちするとは考えられません。どんな治療も目指すべき治療のゴールは正常なはずです。ですから一番の基本である咬み合わせを正常にする事から始めるべきと意見を述べました。
診察の後にこの一般歯科のホームページを見てみると、そこには顕微鏡を使った精密な歯科治療で歯の寿命を延ばすことを第一目標と書いて有りました。これこそ「建て前」。「本音」は、矯正治療は時間がかかる割に大した売上になりませんし、どうせ遅かれ早かれ歯は抜けてしまうのだから手っ取り早く売上になる補綴処処で良いと言ったところでしょう。医療の本質は「建て前」、本音は「金儲け」、ネット社会になってそれが白日の下に晒された感じです。
実はこれは歯科に限らないという経験を私自身もしました。緑内障治療で通っている眼科で、そろそろ白内障の手術、つまり眼内レンズを入れる手術をしてはどうかと提案されたのです。これを聞いたときとっさには、何を言われているのか理解できませんでした(眼科医も何となく回りくどい言い方だったせいもあり)。よくよく聞くと、私は強度近視でコンタクトをずっと使用していますが、白内障でなくても眼内レンズを入れれば近視でなくなるのでコンタクトを使う必要がないと言う事。66歳ですからもう暫くすればきっと白内障になって眼内レンズを入れることになるので今のうちに手術を受けたらどうですか、白内障の治療として手術をするので健康保険の適応にもなりますよ。と言う訳です。建て前としてはコンタクトから解放されて快適になるですが、本音は手術して、手っ取り早くお金が欲しいと言うことでしょう。しかし、医療は必要最小限が良いでハズですし、医療技術は発達しますから今すぐ必要ないなら後で手術を受ける方が良いに決まっています。おまけに白内障でもない(軽度白内障の可能性はありますが)のに白内障の病名を付けて保険適応にしてしまうのですから、これは「本音と建て前」を超え、健康保険の不正請求に当たる可能性だってあります。
医療や政治に限らずそこかしこで「本音と建て前」あるいはダブルスタンダード、少し前の韓国ではネオナブル(私がすればロマンス、他人がするのは不倫)が引き起こす事件が頻発する様になってきた原因は、行きすぎた情報化社会、行きすぎたSNS ではないかと私は思っています。SNSの発展で従来とは比べものにならないくらいに簡単に自身の考え、意見を社会に発信できるようになったために、我こそは正義であるとSNSに投稿したくなるのは人情。SNSへの発信は、言い換えれば全てが「建て前」。SNSでちょっとしたミスや不都合があったお店や不用意な発言をした芸人を完膚なき前に叩き潰すまで投稿をするのも正義「建て前」があるから。自分の日々の行いを棚に上げて、人の批判に熱を上げているのです。そんな人に限って自分の行動は、自己中でしょう。
ネット上では「建て前」が全てになっていますが、その建て前のハードルが高すぎて、実際の活動の根拠「本音」とギャップが開きすぎたことで、多くの実際の現場では多くの人が「建て前」は別次元のことと忘れ去り、「本音」である自己利益の追求にしか眼中になくなっている思います。
これが私が若かりし頃に思っていた「本音と建前」を使い分ける大人の社会であるなら、それは寂しすぎますし悲惨でしかありません。「本音と建て前」ではなく、詐欺、欺瞞が横行する社会です。そして今、現実にそうした悲惨な社会の足音が近づいていないでしょうか?
しかし本音と建て前を使い分けるということは結局の所、目先の損得に重きを置き、建て前つまり正義に目をつぶることですから、いくら建て前を吹聴したところでいずれは相手に、社会に本音を見破られ、信用をなくすのが関の山です。本音と建て前を使い分け一時の利益を得たつもりでも、神様は見ていますから、直に罰が当たって地獄へ突き落とされると私は信じています。
私は、幸か不幸か大人になりきれなかったので「本音と建て前」を上手に使い分けられず、常に本音で自分の正義、信念に従って行動してきました。若い頃は先輩や周囲から「そんな青臭いこと言って、やって行けるわけがない。」、「社会はそんな甘いもんじゃない」とよく言われましたが、そんな嫌みを私に言っていた方々の多くは、一時の成功があったにしても長続きはせず、いつの間にか表舞台から消えていきました。私は孤軍奮闘で苦労はしましたが、信念に従い本音を貫いて何とか20年以上歯科医院を運営してくることがでました。今この歳になって言えることは大変でも「本音と建て前」を使い分けず、自身の正義と信念を本音として生きる方が、結局充実した人生を送れるということです。
SNS全盛の今こそ、個人の情報発信が簡単になった社会だからこそ、個人個人が建て前でなく正義と信念に基づいた本音を貫いて行動しすることが、充実した人生と安心して暮らせる社会の実現する秘訣だと思います。
しかし、最近の社会情勢を見ていると本音と建て前の差が開きすぎて、私から見ると嘘を通り過ぎて詐欺まがいの「本音と建前」が横行している様に思えてなりません。政治の世界で言えば、自民党安倍派のパーティ券裏金事件、つい先日の自民党の広瀬めぐみ参議院議員の秘書給与詐取事件等々、政治資金に関する事件のほとんどは、「政治資金は公明正大に処理しています。」と言う建前ですが、本音は「選挙で当選するためにはどんな方法でもお金を手に入れるんだ。」と言うことです。事件が発覚すると建前上は反省の弁を述べますが、政治家の本音は「誰でもやっているのに」、「運が悪かった」、「信頼しいた奴に裏切られた」と言ったところでしょう。本音で反省しているなら議員も辞職して二度と国民の代表である政治家を目指したりしないでしょうが、離党が精一杯で多くの議員は辞職さえしません。
政治家の不祥事に関する「本音と建て前」だと庶民にはあまり関係ないようにじますが、身近な私の仕事、歯科医療の領域でも「本音と建て前」が横行していますから注意が必要です。
先日、運動中に歯が割れた事をきっかけに近所の歯科医院を受診され、根本的な歯科治療が必要と指摘された患者さんが、詳しい検査結果と治療費を含む治療計画書を持参してセカンドオピニオンを求めて受診されました。診察させて頂きますと、虫歯で奥歯を何本も抜歯、虫歯治療を途中で中止したままの歯、それに加えて歯並びも悪く、多くの歯科治療を必要とする状態でした。治療計画書を見ると、CTを含む多くの検査が行われ、その中には矯正歯科で行われるセファロX線検査など歯並びに関するも行われていました。そして治療計画は、インプラントと歯を削って、被せて歯の形を変えてなんとか咬めるようにする方針、歯科の専門用語で言うと補綴処置による治療方針で費用は200万円を超えていました。患者さんによれば矯正治療を含む治療方針は時間も、費用もかかるからと補綴処置による方針を勧められたとのことでした。
そこで私のセカンドオピニオンです。私は、神経を取ってしまって寿命が短い歯を数本抜歯して矯正治療を行い咬み合わせを正常にします。その後、必要であれば失った奥歯の部分にインプラントあるいは義歯で歯を作る方針です。一般歯科の治療計画では、異常な咬み合わせに合わせて歯を作る事ですから、異常な上に異常を重ねることになりどう考えても歯が長持ちするとは考えられません。どんな治療も目指すべき治療のゴールは正常なはずです。ですから一番の基本である咬み合わせを正常にする事から始めるべきと意見を述べました。
診察の後にこの一般歯科のホームページを見てみると、そこには顕微鏡を使った精密な歯科治療で歯の寿命を延ばすことを第一目標と書いて有りました。これこそ「建て前」。「本音」は、矯正治療は時間がかかる割に大した売上になりませんし、どうせ遅かれ早かれ歯は抜けてしまうのだから手っ取り早く売上になる補綴処処で良いと言ったところでしょう。医療の本質は「建て前」、本音は「金儲け」、ネット社会になってそれが白日の下に晒された感じです。
実はこれは歯科に限らないという経験を私自身もしました。緑内障治療で通っている眼科で、そろそろ白内障の手術、つまり眼内レンズを入れる手術をしてはどうかと提案されたのです。これを聞いたときとっさには、何を言われているのか理解できませんでした(眼科医も何となく回りくどい言い方だったせいもあり)。よくよく聞くと、私は強度近視でコンタクトをずっと使用していますが、白内障でなくても眼内レンズを入れれば近視でなくなるのでコンタクトを使う必要がないと言う事。66歳ですからもう暫くすればきっと白内障になって眼内レンズを入れることになるので今のうちに手術を受けたらどうですか、白内障の治療として手術をするので健康保険の適応にもなりますよ。と言う訳です。建て前としてはコンタクトから解放されて快適になるですが、本音は手術して、手っ取り早くお金が欲しいと言うことでしょう。しかし、医療は必要最小限が良いでハズですし、医療技術は発達しますから今すぐ必要ないなら後で手術を受ける方が良いに決まっています。おまけに白内障でもない(軽度白内障の可能性はありますが)のに白内障の病名を付けて保険適応にしてしまうのですから、これは「本音と建て前」を超え、健康保険の不正請求に当たる可能性だってあります。
医療や政治に限らずそこかしこで「本音と建て前」あるいはダブルスタンダード、少し前の韓国ではネオナブル(私がすればロマンス、他人がするのは不倫)が引き起こす事件が頻発する様になってきた原因は、行きすぎた情報化社会、行きすぎたSNS ではないかと私は思っています。SNSの発展で従来とは比べものにならないくらいに簡単に自身の考え、意見を社会に発信できるようになったために、我こそは正義であるとSNSに投稿したくなるのは人情。SNSへの発信は、言い換えれば全てが「建て前」。SNSでちょっとしたミスや不都合があったお店や不用意な発言をした芸人を完膚なき前に叩き潰すまで投稿をするのも正義「建て前」があるから。自分の日々の行いを棚に上げて、人の批判に熱を上げているのです。そんな人に限って自分の行動は、自己中でしょう。
ネット上では「建て前」が全てになっていますが、その建て前のハードルが高すぎて、実際の活動の根拠「本音」とギャップが開きすぎたことで、多くの実際の現場では多くの人が「建て前」は別次元のことと忘れ去り、「本音」である自己利益の追求にしか眼中になくなっている思います。
これが私が若かりし頃に思っていた「本音と建前」を使い分ける大人の社会であるなら、それは寂しすぎますし悲惨でしかありません。「本音と建て前」ではなく、詐欺、欺瞞が横行する社会です。そして今、現実にそうした悲惨な社会の足音が近づいていないでしょうか?
しかし本音と建て前を使い分けるということは結局の所、目先の損得に重きを置き、建て前つまり正義に目をつぶることですから、いくら建て前を吹聴したところでいずれは相手に、社会に本音を見破られ、信用をなくすのが関の山です。本音と建て前を使い分け一時の利益を得たつもりでも、神様は見ていますから、直に罰が当たって地獄へ突き落とされると私は信じています。
私は、幸か不幸か大人になりきれなかったので「本音と建て前」を上手に使い分けられず、常に本音で自分の正義、信念に従って行動してきました。若い頃は先輩や周囲から「そんな青臭いこと言って、やって行けるわけがない。」、「社会はそんな甘いもんじゃない」とよく言われましたが、そんな嫌みを私に言っていた方々の多くは、一時の成功があったにしても長続きはせず、いつの間にか表舞台から消えていきました。私は孤軍奮闘で苦労はしましたが、信念に従い本音を貫いて何とか20年以上歯科医院を運営してくることがでました。今この歳になって言えることは大変でも「本音と建て前」を使い分けず、自身の正義と信念を本音として生きる方が、結局充実した人生を送れるということです。
SNS全盛の今こそ、個人の情報発信が簡単になった社会だからこそ、個人個人が建て前でなく正義と信念に基づいた本音を貫いて行動しすることが、充実した人生と安心して暮らせる社会の実現する秘訣だと思います。