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院長コラムで院長を知ろう!矯正歯科専門医 河合悟が思うこと。

ハラスメントの本質院長コラム

2022/11/01 社会問題

先日、福岡市から「人権問題に関する市民意識調査」の調査票が送られてきました。5年に一度、18歳以上の福岡市民から無作為に3,000名を選んで行われている調査でした。質問内容は、セクハラ、パワハラ、学校でのいじめ等々から最後はお決まりの同和問題まで多義庭あり、人権侵害に対しての自身の経験や関わり方、解決方法を尋ねる物でした。日頃ニュースで、セクハラ、パワハラの被害や訴訟についてしばしば目にしていましたが、あまり深く考えることは有りませんでした。今回の人権調査に回答をして行くうちに過去の自分経験を思い出し、それを客観的に見ることで、パワハラ、セクハラ等の人権侵害を引き起こす原因が人間の性、社会の仕組みにあると思えてきました。

 私は、子供の頃ひ弱で学校の成績も超平凡、家庭も裕福ではありませんでしたから、どちらかと言えば、いじめられやすい、つまりハラスメントを受けやすい子供でした。当時は、いじめと言う言葉も当然ハラスメントなんて言葉もありませんでしたが、いじめっ子はいましたし、教師の依怙贔屓(えこひいき)も今よりずっと当たり前に行われていました。成績が良い子供、裕福な家庭の子供、医者や銀行員などの社会的評価が高い家庭の子供は、多少イタズラしようが、いじめをしようが教師は見て見ぬふりが当たり前でした。私は冷めていたと言うか、先生と言えども所詮は公務員、人に雇われて教員と言う仕事をしているだけだからと思っており、先生に対して特別な人間的な敬意を持っていませんでしたし、特別な倫理観を求めていませんでした。中学生の時に同じような悪ふざけをしても、成績が悪い友達は教師に叩かれ、成績が良い子供はおとがめなしなんて光景をよく目にしましたが、それが当たり前、社会の現実はそんなもんだと白けて見ていました。

 歯科医になって大学の医局で働き出しましたが、その当時言われたことは「新入医局員はぞうきんと同じ、使うだけ使ってすり切れたら次が来る」でした。先輩、上司の言葉が絶対で、新人は小間使いのように夜遅くまで使われていました。当時は研修医制度がなかったので無給医局員で、裕福な家庭の新人は生活費を親からもらっていましたが、結婚して独立していた私はアルバイトで生活費を捻出していましたので、夜遅くまで先輩の小間使いをすることは出来ませんでした。すると先輩は、そんな事じゃ、3年後に必要な学会発表の指導を誰もしてくれないぞと脅しをかけてくる始末、これが今ならパワハラです。そんな脅しをかけられても、アルバイトをしないことには暮らせませんから、誰の力も借りず自分一人で学会発表をするしかないと覚悟を決めて、1年目から準備を始めました。その後も医局の中の派閥争いに巻き込まれ、大学院時代には助教授からターゲットにされ研究の妨害を受けたりもしましたが、様々な人の助けで何とか、大学院を修了し学位を取ることが出来ました。

 その後も院長になる迄に様々なハラスメント経験しましたが、まだまだハラスメントを訴えるという時代でなかったために、耐えて、自力で跳ね返してなんとか生き抜いてきました。

 その経験から思う事は、ハラスメントの本質は、優越感です。人をランク付けし、値踏みして、序列や優劣を付け、自分と比較する事で生まれる優越感が、人を差別し、ハラスメントをしてしまうと思うのです。優越感、これは人が生まれながらにして持つ性(さが)なのでしょうか?それとも経験によって身につく物なのでしょうか?私は後者、成長過程に於いて形成される人格の一つだと思います。

 子供の頃、学業成績が良い子供は褒められ優越感を覚え、その快感が染み付いて大人になります。学歴社会と言われる現在では、当然学業優秀者が社会の指導的立場となりますから、優越感にとりつかれた人が上に立ちハラスメントを行っていますが、指導的立場の人がハラスメントをするのですから、表向きはハラスメントは悪いこと言っていても、ダメな奴が責められるのは仕方がないと言うのが本音ではないでしょうか?

 セクハラも同じです。俺は偉いと言う優越感が自分は何をしても許される、相手の気持ちなんてどうでも良いという、自己中心主義を生み、セクハラが横行するのです。

 優越感というと何となく良い響きと感じられ無くもありませんが、良く考えるとそれは差別を良いと感じる事ですから、差別を助長する恐ろしい感情です。それを、子供の頃からテストで子供に優劣、序列を着け、優越感、劣等感を植え付けようとしているのが現在の日本の学校教育です。そしてその教育を行っているのが、学校教育での勝者、成績優秀者の成れの果ての教師ですから、当然学校で序列を付ける事に疑問を感じることはありません。しかして悪循環が続き優越感によるハラスメントが横行する社会は続いているのです。

 それを断ち切るすべは、当たり前ですが教育現場の意識の改革しかありません。教師の意識改革を求めることは当然ですが、具体的な改革方法については模索が行われているようです。その一つが神奈川県茅ケ崎市立香川小学校の通知表の廃止です。「他人と比べる」という通知表の価値観から離れ、本人の努力、成長を評価することにしたのです。運動会でも順位を争うのではなく、以前の自分のタイムからどれだけ早くなったか、個人個人が自分自身をライバルに頑張るイメージです。テストも採点するのではなく間違えたところをチェックして、生徒が分かっていないところ、理解していないところ見つけ出す手段として行い、不十分なところを指導することにしたのです。結果として子供達全体の能力も向上していくことになるはずです。

 子供の能力の向上に関して興味深い発表もあります。褒め方、叱り方が子どもの将来に与える影響について神戸大と同志社大の研究チームが、去年3月、全国の20歳から69歳の男女約1300人を対象にアンケートを実施した研究です。結果は、親にほめられた時に、「偉いね」と声を掛けられた人より、「頑張ったね」と言われた人の方が、進学先などの進路を自発的に決定する自立心が高かったということです。「偉い」と言うのは、他者に対して比較した褒め言葉であり。「頑張った」はその本人の努力を褒めること。また「偉い」は結果を、「頑張った」はその過程を評価していると思います。結局の所、他社のと比較評価は、ランク付けは子供の能力往生にも役立たないことがハッキリしたわけです。

 そうは言っても教育現場を急に変えることはできませんから、先ずは過程での子供の躾や教育方法、職場での部下の指導方法を変える事から始めるしかありません。同じ間違いを犯す子供あるいは部下に「なんで間違うんだ」というのではなく、間違う原因を指導的立場の人が見つけ教える事が第一。そして人それぞれ仕事、業務の習得スピードが違う事を忘れず、本人が努力し成長したこと評価する。この二点が改革の始まりです。

 調査票を書き終える時に 私自身も決して優越感に浸ったり、人をてランク付けする事のないようにしなくてはと改めて心に強く戒めました。

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