好きなことを仕事にはしたくない!?院長コラム
2022/09/01 社会問題
先日、サンフランシスコに居る息子が4年ぶりに帰ってきました。昨年も、一昨年もコロナウィルスによる入国制限で帰国できず、久しぶりにゆっくり話が出来ました。前回帰ってきた時は、大学を卒業して9月からニューヨークの建築事務所で働く前だったのですが、4年間の間に息子の環境は大きく変化していました。。最初に勤めた建築事務所は1年で退職し、同じニューヨークにあるリチャードマイヤーと言う建築家の事務所に転職。そこで世界各国の大きなプロジェクトの設計、デザインに携わり、これでようやく社会人として独り立ちと、親としてはホッとしていました。しかし所がどっこい、昨年その建築事務所を辞めて、サンフランシスコの大学院に入学し今は再び大学院生です。
高校卒業後、大学、大学院で建築デザインを学び、折角有名建築家の事務所で働くこと出来たのに、なんで辞めてしまったのか?当時、息子は自分がしている仕事の規模が大きすぎて、実際の完成した建築物を見ることもないし、現地に行くこともない。だから、自分のやっている仕事に達成感がなくて、自分で何かを作りたい、作る事が好きで建築を選んだのにそれが出来ないから、建築はひとまず辞めると言っていました。そして、次に息子が選んだ大学院はインダストリアルデザイン、工業デザインでした。建築よりも小さい物だったら、自分でデザインした物が完成するところまで、あるいは自分の手で完成できるだろうと考えたそうです。そして写真のような家具作りに励んでいるのが現状です。
今回、久しぶりに会って現在の大学のことや建築事務所の事を聞くと、次々と転職したり、はたまた大学に戻ったりと言う息子の生き方は日本ではあり得ない事ですが、アメリカではごく普通、いや大学や大学院を卒業した人はそれが当たり前のようでした。息子の大学の同級生や建築事務所の優秀な同僚は、一人残らずと言って良いほど一つの会社に留まってはいないようでした。企業に就職して、そこで自分が必要と思う知識、技術を身につけると、次に必要と思う知識、技術を身につけるために、転職あるいは再び大学で勉強する、それをくり返して、自分の知識技術を高め、キャリアを積んで行くのが、頑張る人の人生経路のようです。
何となく、テレビ等の情報や映画の中でアメリカでは転職が当たり前だとは分かっていたのですが、息子から聞く現実は想像以上に厳しいというか、仕事も人生の目標も人それぞれで会社や組織に指図されることなく自分自身で頑張る、自己責任の社会である事を実感しました。
まあ、アメリカでも誰もが人生の目標を持って頑張っているわけではなく、日本に比べて大学進学率も低く、地方都市には日本で言うマイルドヤンキーも沢山いるし、競争社会に疲れて薬物依存になる人も多いのも事実です。しかし、優秀な人ほど社会に出てから、現状に満足せず常に自信のスキルの向上を目指しているように感じました。その個人の上昇志向がアメリカという国を引っ張り、経済発展の原動力となっていると思いました。
振り返って日本ではどうでしょう?学力優秀で一流大学を卒業し有名企業に就職して、ホッとしてしまい、それ以降は会社の指示に従って仕事をこなして、そこそこのお給料をもらい、安定した暮らしを手に入れるのが、成功者の人生と言うのが社会の認識ではないでしょうか?
大学入学までは先生の教えを忠実に守り努力すれば、高偏差値の大学に入学できますから、成績優秀者は人に習うことは得意でしょう。それに厳しい受験戦争を勝ち抜くために、人生の進路を決める中高生の時には忙しすぎて、自分の人生の進路、目標をじっくり考える余裕もないのも現実です。結局、日本の優秀な若者は自分の人生の目標、進路を自分でしっかりと考え決めていない、世間的評価の高い職業に就く事が良いこと、それが目標となってしまっている様に感じます。
社会人として働き出しても仕事とは、会社や上司から言われることをやり遂げる事と教えられ、自分の意に反したことでも我慢して業務をこなすことが仕事、言いたいことを言っていたら組織として成り立たない、あるいは辞めさせられると言うのが日本の会社です。そこで働き続けた結果、いつの間にか「我慢することが仕事」そして、「仕事は辛い物」と多くの会社員の思いでしょう。
先日、調理師資格を持ち保育所の調理室で働いている方が、もう今の仕事を辞めたいと言われるので理由をお聞きしますと、仕事が大変なのに加えて楽しくないとのことでした。それなら調理をすることが嫌いなのですか?と聞くと料理、調理はとても好き、好きだから料理することを仕事にはしたくないと言われるのです。仕事にすれば、本当はもっとこうした方が良い、こうした方が美味しくなるのに、業務としては自分としては不本意でも決められた事をしなくてはいけない、それが好きな事だから余計にストレスが大きいという事でした。
私の意見はそれなら自分で独立して自分の思う料理を作るため飲食店を始めるとかお弁当屋さんをはじめるとかを目標にして、今はその準備として調理や食材調達等の勉強のために仕事をすると意識を変えるのが良い。そうすれば、日々の仕事に対するモチベーションも向上し、効率も上がり、そして仕事も苦ではなくなる様に思えるのです。
我慢してやりたくない仕事をして、果たして効率が上がるでしょうか?成果を出せるでしょうか?大いに疑問です。それよりも好きな事、得意な事を仕事にすれば、仕事をすることが楽しく、とことん追究しするので知識技術は向上し、結果として成果も上がるはずです。好きな事、得意なことを仕事にすれば、毎日が充実し、成果かも上がり、引いては社会の発展や国としての成長にも繋がると思います。
日本でもまだ先進国でなかった時代には、多くの人は自分の得意なこと、自分の能力が活かせることは何なのかを考え、それを仕事として頑張ることが自分や社会の豊かな幸せな未来に繋がると信じて努力していました。しかし先進国となった今では、多くの人は安定を求め、自身の能力を最大限発揮して未来を切り開こうと言う気概を持っていない気がします。その結果が、失われた20年であり、衰退する日本の現状です。
今こそ昭和の活力ある日本を思い出し、好きな事、得意なこと仕事として追求する事こそが社会の発展や個人の幸せに繋がると誰もが信じられる社会を目指す時です。私は個人が個々の能力を信じ力の限り努力して.かつてジャパン アズ ナンバーワンと言われたように、日本が世界で輝く国になると信じて、頑張る若者を微力ながら力の限り支え、応援する事が、人生の終盤を迎えた私の役目だと思っています。
高校卒業後、大学、大学院で建築デザインを学び、折角有名建築家の事務所で働くこと出来たのに、なんで辞めてしまったのか?当時、息子は自分がしている仕事の規模が大きすぎて、実際の完成した建築物を見ることもないし、現地に行くこともない。だから、自分のやっている仕事に達成感がなくて、自分で何かを作りたい、作る事が好きで建築を選んだのにそれが出来ないから、建築はひとまず辞めると言っていました。そして、次に息子が選んだ大学院はインダストリアルデザイン、工業デザインでした。建築よりも小さい物だったら、自分でデザインした物が完成するところまで、あるいは自分の手で完成できるだろうと考えたそうです。そして写真のような家具作りに励んでいるのが現状です。
今回、久しぶりに会って現在の大学のことや建築事務所の事を聞くと、次々と転職したり、はたまた大学に戻ったりと言う息子の生き方は日本ではあり得ない事ですが、アメリカではごく普通、いや大学や大学院を卒業した人はそれが当たり前のようでした。息子の大学の同級生や建築事務所の優秀な同僚は、一人残らずと言って良いほど一つの会社に留まってはいないようでした。企業に就職して、そこで自分が必要と思う知識、技術を身につけると、次に必要と思う知識、技術を身につけるために、転職あるいは再び大学で勉強する、それをくり返して、自分の知識技術を高め、キャリアを積んで行くのが、頑張る人の人生経路のようです。
何となく、テレビ等の情報や映画の中でアメリカでは転職が当たり前だとは分かっていたのですが、息子から聞く現実は想像以上に厳しいというか、仕事も人生の目標も人それぞれで会社や組織に指図されることなく自分自身で頑張る、自己責任の社会である事を実感しました。
まあ、アメリカでも誰もが人生の目標を持って頑張っているわけではなく、日本に比べて大学進学率も低く、地方都市には日本で言うマイルドヤンキーも沢山いるし、競争社会に疲れて薬物依存になる人も多いのも事実です。しかし、優秀な人ほど社会に出てから、現状に満足せず常に自信のスキルの向上を目指しているように感じました。その個人の上昇志向がアメリカという国を引っ張り、経済発展の原動力となっていると思いました。
振り返って日本ではどうでしょう?学力優秀で一流大学を卒業し有名企業に就職して、ホッとしてしまい、それ以降は会社の指示に従って仕事をこなして、そこそこのお給料をもらい、安定した暮らしを手に入れるのが、成功者の人生と言うのが社会の認識ではないでしょうか?
大学入学までは先生の教えを忠実に守り努力すれば、高偏差値の大学に入学できますから、成績優秀者は人に習うことは得意でしょう。それに厳しい受験戦争を勝ち抜くために、人生の進路を決める中高生の時には忙しすぎて、自分の人生の進路、目標をじっくり考える余裕もないのも現実です。結局、日本の優秀な若者は自分の人生の目標、進路を自分でしっかりと考え決めていない、世間的評価の高い職業に就く事が良いこと、それが目標となってしまっている様に感じます。
社会人として働き出しても仕事とは、会社や上司から言われることをやり遂げる事と教えられ、自分の意に反したことでも我慢して業務をこなすことが仕事、言いたいことを言っていたら組織として成り立たない、あるいは辞めさせられると言うのが日本の会社です。そこで働き続けた結果、いつの間にか「我慢することが仕事」そして、「仕事は辛い物」と多くの会社員の思いでしょう。
先日、調理師資格を持ち保育所の調理室で働いている方が、もう今の仕事を辞めたいと言われるので理由をお聞きしますと、仕事が大変なのに加えて楽しくないとのことでした。それなら調理をすることが嫌いなのですか?と聞くと料理、調理はとても好き、好きだから料理することを仕事にはしたくないと言われるのです。仕事にすれば、本当はもっとこうした方が良い、こうした方が美味しくなるのに、業務としては自分としては不本意でも決められた事をしなくてはいけない、それが好きな事だから余計にストレスが大きいという事でした。
私の意見はそれなら自分で独立して自分の思う料理を作るため飲食店を始めるとかお弁当屋さんをはじめるとかを目標にして、今はその準備として調理や食材調達等の勉強のために仕事をすると意識を変えるのが良い。そうすれば、日々の仕事に対するモチベーションも向上し、効率も上がり、そして仕事も苦ではなくなる様に思えるのです。
我慢してやりたくない仕事をして、果たして効率が上がるでしょうか?成果を出せるでしょうか?大いに疑問です。それよりも好きな事、得意な事を仕事にすれば、仕事をすることが楽しく、とことん追究しするので知識技術は向上し、結果として成果も上がるはずです。好きな事、得意なことを仕事にすれば、毎日が充実し、成果かも上がり、引いては社会の発展や国としての成長にも繋がると思います。
日本でもまだ先進国でなかった時代には、多くの人は自分の得意なこと、自分の能力が活かせることは何なのかを考え、それを仕事として頑張ることが自分や社会の豊かな幸せな未来に繋がると信じて努力していました。しかし先進国となった今では、多くの人は安定を求め、自身の能力を最大限発揮して未来を切り開こうと言う気概を持っていない気がします。その結果が、失われた20年であり、衰退する日本の現状です。
今こそ昭和の活力ある日本を思い出し、好きな事、得意なこと仕事として追求する事こそが社会の発展や個人の幸せに繋がると誰もが信じられる社会を目指す時です。私は個人が個々の能力を信じ力の限り努力して.かつてジャパン アズ ナンバーワンと言われたように、日本が世界で輝く国になると信じて、頑張る若者を微力ながら力の限り支え、応援する事が、人生の終盤を迎えた私の役目だと思っています。