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院長コラムで樋口矯正歯科クリニックの院長を知ろう!河合悟が思うこと。

自分を越える院長コラム

2022/05/01 社会問題

つい最近ネットニュースで 神奈川県茅ケ崎市立香川小学校が 2020年度から通知表を廃止したと言う記事を読みました。通知表廃止のきっかけは、「良い評価が多かったら喜び、そうでなければ悲しむだけ。それでは意味がないのではないか」と言う疑問を持っていた新任校長が着任したことでした。しかしそもそも校長の一任で通知表が廃止できるのかと思いましたが、実は法的に通知表を出す義務もないと言う事に驚きました。義務もないのに明治以来ずっと、教師も保護者も生徒も疑問も持たず前例に従ってきただけだったのです。ある意味、通知表も公務員の前例主義の賜物に一つだったのでしょう。

 そもそも義務教育は、社会生活をしていく上で必要とされる最低限の知識、技術を身に着ける事が目的のはずですから、教育内容を習得しないで進級や卒業ができるのがおかしな話です。つまり、進級、卒業した生徒は、全て義務教育で必要とされる知識、技術を見つけるという目標を達成しているのですから評価する意味もありませんし、全員が基準を達成しているかどうかが判定基準ですから、ランキングする事もできないはずです。

 もしそこにランキングする要素があるとすれば、それは義務教育の意味を教師や父兄が勘違いしているのかも知れません。高校以降の高等教育と違って義務教育は、全ての教育内容を100%習得する事が求められているはずです。単純な話し、例えば小学校2年生で習う九九を習得しないで、3年生になる事は本来は許されないはずです。かつて「落ちこぼれ」という言葉を良く聞きましたが、各学年での教育内容を習得する事無く進級していまい、その後の授業について行けなくなる「落ちこぼれ」は本来、あってはならないことです。教育内容を習得できるまで、何度もくり返し学習する事が義務教育の本来の姿だという事を教師も保護者も再認識する必要があります。それができていませんから、ランキングという制度、つまり通知表が存在するのかも知れません。

 記事には通知表で最高評価の項目が多ければ人格的にも優れ、評価が良くなければダメなんだと子ども本人も周囲もそんな風に受け取り、優越感や劣等感を抱かせる原因になると書かれていました。まあ、凡人だった私自身も成績のよい子は何をしても先生に褒められ、悪いことをしても大目に見てもらえて、ずるいな~と思う事もしばしばでした。幸い両親が、学校の成績のことをとやかく言わなかったので劣等感を持つことはありませんでした。しかし凡人としてランキングされていた私は、どちらかと言えば教師から虐げられているように感じて学校生活が楽しいものではありませんでした。

 通知表廃止は、教師に改めて教育や学習の評価について考えさせるきっかけとなったようで、様々な改革が行われたそうです。その一つに挙げられていたのが、運動会での団体競技の目標に設定についてでした。従来はクラスの順位が重視され1位になったクラスは大喜び、どべのクラスはしょげると言う正にランキング状態でした。そこで担当学年先生が目標を「本番で練習よりタイムを縮める」と指導方法を変えたところ、タイムの発表の度に歓声が上がり、 最下位だったクラスの子どもも「自己ベストが出たよ」と大喜びだったそうです。この結果に目標を決めた先生も「目指す評価はこれだ」と確信したとの事でした。

 これは評価の基準を他人との比較から、自身との戦いに変える、と言うことです。そしてこの評価の変更は子供達のその後の生き方に大きな影響を与えるだと私は思います。父兄からの通知表に対する肯定的な意見として、 「中学校でも社会に出ても評価はつきまとう」「この先ずっと競争が続くのだから、自分がどの程度のところにいるのか知っておくべきだ。」等があったそうですが、実はこの考えこそ子供の可能性を大きく減らしていますのです。良い評価を得れば、有頂天になる人もいるのでしょうし、もしそうならなくても安心して努力を怠り、知識技術の習得等のスピードや発展、成功の可能性が低くなります。また、低評価を受けると自信が無くなり、自己否定感が強くなり、新しいことにチャレンジする意欲を持てず、こちらも発展、成功する可能性が低くなります。

 つまり比較評価を信奉していては、勝者も敗者も長い目で見れば、全て本来の実力を発揮することなく人生を終えてします可能性が高いのです。それよりも今の自身を基準に明日は自身を越える事を目標をすれば、常に努力、常に前進、常に成長、発展しかありません。自分自身への挑戦ですから、トップに立って安泰も安心もなありませんし、限界もありません、立ち止まることなく、際限なく前に進んで行くのみです。

 日本の国力の低下や経済の停滞が叫ばれて久しいですが、実はその原因は比較評価なのかも知れません。社会に出てからも常に他人との比較基準で仕事をしていますから、大企業に就職する、出世して高い地位に就く等が目標となってしまいます。たとえ東証一部上場企業に就職できた、部長に昇進したと言う区切りで満足してしまえば、それ以後はやはり努力しなくなる、そこまで行かなくても少しばかり手を抜くようになってしまうのが人情です。その結果、企業や社会の発展は沈滞してしまうのです。

 高度成長期を経て成熟した先進国となった日本は高学歴社会と言われていますが、言い換えると超比較評価社会となってしまい、学業成績優秀者の慢心階層と学業平凡者の自己否定階層の二極化社会となっていると思います。この二極化こそが日本の社会、経済の発展を妨げているように私には思えます。

 私は学業凡人階層で偏差値も低い地方の私立大学歯学部出身ですが、歯科医師になってからも常に治療技術向上を目指して努力してきました。大学で学んだことで満足することなく、矯正治療技術の習得にアメリカの講習会にも行きましたし、学会にも積極的に参加しています。そして日々の診療の中でもより効果的な、より効率的な矯正治療方法を日々模索してきました。その結果自分なりの独自の矯正治療方法を確立してきましたが、今でも日々その治療方法を改善する努力を続けています。

 比較評価を捨て今日の自分を越えることが人生の目標にする事こそが、自身の発展、成功、幸せの源であり、それが引いては社会の発展に繋がっていくのだと思います。そして、その第一歩が通知表の廃止かも知れません。

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