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院長コラムで院長を知ろう!矯正歯科専門医 河合悟が思うこと。

試練は神様の贈り物院長コラム

2020/03/01 現代社会

受験シーズンも終わりに近づき、合格の知らせに胸躍らせる人もいれば、望み叶わず来年の合格を心に誓う人も多い事でしょう。私自身も現役受験の時、歯学部を6校も受験しすべて不合格、惨敗を期し、来年こそはと決意を新たにしたのはもう40年以上前ですが、昨日のことのように思えます。18才の私の心境は人生最大の試練、何とか一年で切り抜けなければと言うものでした。

 翌年も歯学部だけを6校受験し、何とか歯学部に合格し浪人生活は一年で終えることができましたが、人生最大の試練は、それからも続々と目の前に現れました。その度に、人生最大と感じましたが、次々に試練は現れ、一体どれが人生最大だったのか今になっては分かりません。おかげで試練に直面した時には、それが人生最大の試練と考えがちですが、まだまだもっと凄い試練があるか知れないのでこれぐらいなら大丈夫と思うことが大切と学びました。

 還暦を過ぎた今日まで、私の人生は試練ばかり。人生山あり谷ありと言いますが、私の人生の谷は深く、山は険しく頂は小さく平坦ところはほんの少しでした。しかし、この深い谷から這い上がる事で私自身は鍛ええられ、今があると常々思っています。

 大学卒業後大学病院の矯正歯科の医局に在籍しました。入局前に結婚していた私は生活費を稼ぐために大学の診療が終わった後や週末にアルバイトをする必要がありましたから、診療後に医局の先輩の実験、研究の手伝いをすることができませんでした。当時の医局は、新米はまずは先輩の手伝い、いわゆる徒弟制度が当たり前でしたから、先輩から「そんなことしていたら、誰も面倒見てくれないぞと」と面と向かって言われました。そこで私の難関になったのが入局3年目に義務とされていた学会発表でした。普通は先輩の指導に従えば良いだけですが、そんな状態でしたから私には指導してくれる先輩がいないのですから。そこで一年目から学会発表できそうなネタがないかと常々気を配っていたところ、偶然珍しい症例に巡り会い何とか学会発表をすることができました。この経験から、常に学会発表を意識して診療に当たっていましたから、その後も様々な症例を発表することができました。

 また、当時はパソコンやワープロがない時代でしたので、原稿は手書きで教授のチェックを受け訂正されると原稿すべてを下記のす必要があり、その作業は若手の仕事、これも先輩の手伝いでした。しかし自分が原稿を書くようになった時に手伝ってくれる人はいませんので、どうしたものかと悩んでいました。その時医局に導入されたのがパソコンと忘れもしない「松」と言うワープロソフトでした。人の助けが借りられないなら、パソコンの力を借りるしかないと考えた私は、初めて触るパソコンに挑戦し、医局で初めてワープロで投稿原稿を書きました。当時の教授から、手書きの方が読み安いと言われたりもしましたが、原稿書きの効率は飛躍的に上がり、あっという間に医局中の先生がワープロで原稿を書くようになりました。

 おまけにマニュアルを片手にパソコン操作を身につけたおかげで、今でもパソコンの事にはそこそこ詳しく、子供達からも年取っているのにパソコンに詳しいとよく言われました。クリニックの受付で使っている患者さんの管理プログラムも「松」と同じ管理工学のデータベースソフト「桐」を使って私がマクロプログラムを作り、かれこれ30年近く私が改良をしながら使っています。自分自身で改良できますから、時々の必要情報を追加することもできますから、既成の患者管理ソフトよりも自由度が高く便利です。

 20代半ばで未熟な私にとって医局で孤立する事は大変な窮地でしたが、それを切り抜けるために学会発表、投稿のネタを自分で探す習慣が身に着ける、パソコン操作を習得する事ができました。そしてそれは、私の人生にとって大きな財産になりました。

 その後も様々な困難に直面しましたが、今考えても一番の困難は、やはりうつ病にまでなってしまった40歳の時のクリニックの経営不振です。山一証券が潰れた平成の大不況にクリニックも飲み込まれ先が見えない状況、本当に苦しみました。何とかクリニックが潰れることなく、私はこの試練も切り抜けることができました。そしてこの試練から学んだことは、人は支え合って生きていると言うことです。患者さん、スタッフ、友人そして家族の支えが有ったから私は試練を乗り越えることができたと強く思ったわけです。そして、私を支えてくれた人に感謝するとともに、今度は私が支える番だと心に誓ったのです。患者さん、スタッフ、友人、家族に加えて私が巡り会うすべての人が幸せなるようにできることは何でもすると誓いました。そして自分が人のために力を注ぐと、反対に自分のために他の人が力を貸してくれることも実感しました。自分一人の力は知れていますが、色々な人の力を借りることで今の自分が在ると思っています。

 この原稿を書こうと考えた時、よく考えると私は子供の頃から学校の成績も悪かったですし、チビで体力も有りませんでしたから運動も苦手、つまり何の取り柄もない子供だった事を思い出しました。中学3年で高校入試に向けて勉強をしていた頃、成績も良くない私は、自分自身を慰める意味で「やるだけやったから結果はしたがない」と自分に言い聞かせていました。そしてその頃から、「人事を尽くして天命を待つ」の言葉を常に心の拠り所にしてきました。何事にも自信がありませんでしたので、せめてやれることはやったから大丈夫と自分自身に言い聞かせ、心を落ち着かせていたのです。

 しかし今思うと、この「人事を尽くして天命を待つ」の気持ちを持っていたからこそ、私がこれまでやってこられたのだと強く思います。「何事も力の限りやりきる」、そうすれば結果が良くなくても努力したことは身に付いていますから、能力は向上しています。その積み重ねが人として成長していくことですから、年齢を重ねるに従いできることが増えていき、今の私にたどり着いたのです。

 私の試練を色々書きましたが、その試練すべてに私は育てられたと言うことです。しかし誰だって苦しい思いはしたくありませんから、試練に直面しないように避けようとするのは当然です。そこで神様はこれはと思う人に避けようのない試練を与え、その人を鍛え磨き、成長させようとしているのです。その試練を乗り越えた時、人は一段と成長しているのですから。試練なくして、成長なし!です。そう考えると試練は神様の贈り物と思えてきませんか?

 苦労が多かった私には、そう思うしかなかったのかも知れませんが、還暦を過ぎて私が悟ったことは、「試練は神様の贈り物」と言うことです。今、神様から試練を与えられている方は、神様に感謝して力の限りを尽くして試練を乗り越えて下さい。その先には、一段と成長したあなたと明るい未来が待っていると思います。

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