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院長コラムで院長を知ろう!矯正歯科専門医 河合悟が思うこと。

AI時代に必要とされる教育とは院長コラム

2020/04/02 現代社会

新型コロナウイルスの感染拡大が世界中で続く中、感染の源であるはずの中国は武官での都市封鎖を緊急に行ったことで新型コロナウィルスの感染拡大を止めたと誇らしく言い放っています。そして武官での感染や治療のデータを元にAIで新型コロナウィルスの治療薬やワクチンの開発を急ピッチに進めていると言っています。

 それに対して日本では2月の始から新型コロナの影響が叫ばれ始めていたのに小中学校が休校になったのは3月初めからでずいぶんノンビリしている気がしないでもありません。世界上の国々で休校の措置を取っているようで、ニュースによれば、オンラインによる授業を始めているところ多いようです。それが先進国であるハズの日本では、先生が自宅学習のための宿題を作り印刷したりする用意が大変だと言っている始末です。これだけインターネットは普及した時代に教育現場は私が受けた昭和の時代と大きく変わっていないのではないと思えて仕方が有りません。

 コンピューターが庶民の暮らしと縁の無かった昭和の時代と手の平の中片時も離さずスマホというコンピューターを持ち歩いている令和の時代の教育が大きく変わっていなくて、日本の未来、人類の未来は大丈夫でしょうか?スマホがない時代には多くに知識を持っていることが非常に重要でした。物事を正確に判断するには、多くの情報つまり知識の積み重ねが必要ですから、知識の多さこそが確かな判断の源であり、知識をより多く蓄えた人が指導的な立場に着き、それが優秀な人間とされて来ました。しかし、スマホの登場で知識は誰にでも公平にスマホの中に持つことになりました。テレビの東大クイズ大生もスマホを持った一般人にクイズで勝ことは出来ません。

 つまり知識量の多さ、言い換えると記憶力の良さが優秀とされた時代はスマホの登場で過去の物になってしまったのです。そんなことは起こらないと思われるかも知れませんが、戦国時代には武芸に長けた者、体力がある者が勇者であったのが、平和になった江戸時代以降は武芸よりも勉学、つまり知識重視になったような、社会で重要とされる物の大きな変化が今訪れているのです。

 そこで教育現場でもAI時代に即した教育としてプログラミング教育が小学校でも始まりました。しかしこれは、全く見当違い、意味の無い教育だと思います。パソコン黎明期に大学を卒業し、当時医局に始めて登場したパソコンを見て、これからの時代これを使いこなさなくては思った私は、「C言語」の本を買いプログラミングを勉強し始めました。しかし、臨床も忙しくグズグズしている間にパソコンのソフトが次々と開発され、「C言語」を十分使えるようにならなくてもパソコンを仕事で十分使いこなせるようになりました。その時必要だったことは、パソコンのプログラムができる事ではなく、パソコンで何が出来るのか?そして何をするのか?と言う事を考えることでした。当時の医局の仕事で言えば、パソコンでプログラムを作ることよりも、実験をしたデーターを元にパソコンのワープロソフトで論文を書く事の方が重要だったと言う事です。

 それと同じようにAIを使いこなすと言う事と、プログラミング教育でAIのプログラムの厭離を知る、あるいはプログラムを作るという事とは別物だという事です。確かにAIのプログラムを作る人は必要かも知れませんが、全ての小学生にその教育をする必要は無いと言う事です。

 それでは、どんな教育がAI時代に必要なのか?それは実は当たり前のこと、基礎教育、一般常識とされることを重視した教育です。義務教育の終了つまり中学卒業までに誰もが社会人として知っておかなければいけない一般常識を身につけさせる教育です。基礎教育、一般常識が無いことには手のひらの中にあるコンピューターを使いこなすことが出来ませんから。

 所が現在の義務教育は、学習内容を習得した、しないに関わらず、学校に行っていさいすれば、自然と卒業できます。中学卒業時に必要とされる知識を習得していなくても卒業できてしまうのが現実です。先生方はそんなことはないちゃんと教育していると言われるかも知れませんが、そうでないから高校入試があり、知識を身につけているか、いないかを判定しているではありませんか。所定の知識を全ての子供達が習得しているなら試験をして、選抜する必要はありません。高校側が高校での教育内容やその難度を示し、学生が自分に会うと思う学校を選べば良いはずです。

 しかし、この全ての子供達が一定以上の知識を見つけるというごく当たり前の教育が出来ていないから、落ちこぼれと呼ばれる子供達が出来てしまう訳です。落ちこぼれはある日突然出来てしまうのではなく、それまでの様々な段階で理解していない、取得していないのにその次に段階に進んでしまって、いつの間にか落ちこぼれてしまっていたと言うのが現実です。

 かつて名前を書けば入学できるという高校で数学を教えていた先生に聞いた話があります。その高校では高校の教科書を使って授業をしても理解できる学生はほとんどいなかったそうです。そこでその先生は学生がどこまで理解しているのかを確かめるために小学校のプリント使って試験をした所、多くの学生は小学校4、5年生の算数の内容を十分理解していな事が原因で、それ以降の算数、数学の内容が全く分かって事が分かったそうです。そこで放課後に生徒一人一人に小学校の算数にまでさかのぼって教えたところ、生徒達は順調に成果を上げ程なくして中学卒業程度の数学のを理解するようになったとのことでした。

 また子供がお世話になった英語の先生は、英語では大体中学2年生のレベルで引っかかる生徒が多く、そのまま十分理解せず高校に進み英語が苦手となっていると良く話していました。

 この二つの例から分かるように、義務教育の間に習得が不十分、理解できていないのに次に進んでしまっていることが、現在の教育の大きな問題です。高校からは必要な知識を習得していないと進級できないのに、本来習得が必須なはずの義務教育で習得が不十分なのに進級できるのが大きな問題であり、なせそうなっているのかが疑問です。

 多くの中学校では、偏差値の高い進学校に何に合格させたがが先生や中学校の評価に繫がると良く聞きますが、そんなことより中学校の卒業試験を行い100%の生徒を合格させる事がこれからは重要なのです。しかし、その為には小学校から各学年での教育内容をその学年毎、あるいは学期毎に生徒が習得しているかをチェックし、習得するまで学習させることが必要です。出來の良い生徒は自分で勉強するでしょうから、成績の悪い生徒にフォーカスを当てる教育が必要とされているのです。学校の先生の課題は、全ての生徒に学習内容を習得させること、それが出来ないと教師失格とするのです。

 そして、教育内容についても一考が必要です。以前は就職すれば一生会社が面倒見てくれる終身雇用が前提でしたから、税金や保険、年金と言った社会システムについて詳しく知る必要はありませんでした。しかし終身雇用が崩壊した社会では、個人が自分の身は自分で守らなくてはいけない社会となります。その時、必要とされる「社会システム」や「お金」のこと、例えば金利の怖さ等についてきちんと義務教育の中で教えていく必要があります。そうすれば銀行のカードローンの10%を越える金利で借金して、自己破産に追い込まれる若者もいなくなるはずです。義務教育は一人で社会生活が出来る、正しい判断能力を養うための教育ですから、時代に即して教育内容も変化すべきなのです。

 AI時代に必要な人の役割は今後の社会で何が必要なのか?を考えたり、創造する事あり、人が下した方針についてAIが知識や情報を収集して提供する、物事の判断の材料を吟味し決断する能力です。それには先程の述べた一般常識に加えて、実際の経験の豊富さも重要となります。ですから、高校以後の高等教育に於いては座学による知識の詰め込みよりも行動重視、経験重視の実学教育の充実が重要です。高校の数学で習う微分積分は多くの社会人に必要はありません。もし必要でも手のひらの中のスマホが代行してくれます。必要なのは何をするかを考えることで、する事が決まった後にそれを実現する過程でもし微分積分が必要になったらスマホが代わりにやってくれると言う事です。

 時代が変わろうとしている時には、誰もが明日は今日の延長、今までの社会がこれからも続くと思いたいですし、多くの人はそう信じています。しかし、スマホとAIの登場で今、時代は変わろうとしているのです。人が果たす役割が変わります。その時、知識編重の記憶力試験である大学入試を頂点とする日本の教育で未来が切り開けるとは私は思えません。

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