プロに習う院長コラム
2019/02/02 社会問題
昨年の初めに口臭外来をしている妻から朝起きたときの呼気の匂いがおかしいから、呼吸器外来を受診した方が良いと言われ、診察を受けたところCOPD(慢性閉鎖性肺疾患、いわゆる慢性喘息)と診断されました。息が苦しいという症状も全くなかったので驚きましたが、その時の呼吸器検査の器機が打ち出した私の肺年齢は、なんと94才。これにはビックリ、症状がないからとほっとく訳にはいかず、言われるままにステロイドと気管支拡張剤の吸入を開始しました。吸入自体は朝夕小さな吸入器を加えて2呼吸するだけですから、一瞬で負担はありません。しかし、吸入を始めてから10日もすると、なんとなく声がかすれる、喉に違和感我を感じる、唾液を誤嚥するようになるなどの副作用が目立つようになりました。
誤嚥ににつては、これまた妻の指導で「舌体操」で舌の筋肉を鍛えたことで、改善しましていきましたし、喉の違和感もうがいを強くすることで軽減しました。一番の難敵は声のかすれと言うか、声の出にくさでした。声を出すときに、すごく力が要るというか、大きな声を出そうとしないと声が小さくて聞き返されてしまうようになっていました。
呼吸器内科の先生になんとかならないかと訴えましたが、薬の種類を変えるぐらいでこれと言った対処方法はありませんでした。そんな時、患者さんからボイストレーニングを強く進められました。その患者さんは10年前に、私と同じように慢性喘息で吸入をして大きな声が出ない状態でしたが現在は喘息が完治し、声も大きな声でお話しされるので私もその患者さんが慢性喘息だったなんて全く気がつきませんでした。
その患者さんの強い勧めと、藁をもつかむ気持ちで私は半年前からジャズシンガー小野ひとみ先生の福岡天神ボイトレ部へボイストレーニングに通い始めました。実は私、歌を歌うのが大の苦手、小学校の頃から音楽の時間がいやでしょうがない音痴でしたから、ボイストレーニングに通うことに本当に抵抗がありました。その時これまた妻が、自分が歌が好きなこともあったでしょうが、一緒に行くからボイストレーニングを始めようと勇気づけてくれ、いわば付き添い月で毎週ボイストレーニングを始めました。
音痴という私に先生は「絶対に音痴は克服できる、歌が歌えるようになる」と言われてそれを信じて私も発声練習や音程の取り方等々努力を重ねました。おだて上手の先生のおかげで最近では、歌があんなに苦手だった私が一生私に縁がないと思っていたカラオケに妻と行くまでになったのです。声もボイストレーニングに行く前に比べれば、ずいぶん出るようになりました。人間何でもトレーニング、訓練が大切なことを身をもって悟りました。
そしてここからが本題ですが、あんなに酷い音痴だった私が歌が歌えるようになったのは、、先生の指導、歌を歌うことを教えるプロの指導のたまものです。私の音程のずれを細かく指摘し、私に合ったキーで先生が歌いそれを私がまねをする、いわば口移しのようにして声の台方、歌の歌い方を教えていただきました。
そして思ったことは、指導方法の重要さです。今まで小学校、中学校と9年間も音楽の時間で歌の歌い方も習ってきたはずですが、よく考えてみればただ「歌いなさい」と言われるだけで、歌い方、歌う技術を教えてもらった記憶は全くありません。自分のキーがなんなのか?いやキーが何であるかさえ知らないで、歌を歌えと言われてきたのですかから、生まれつき音感が良かったり、偶然自分のキーが標準だった人は上手く歌えたのでしょうが、そうでなかった私のような人は音痴と言われ、音痴と思い込み歌が歌えなくなってしまうのです。ある意味、学校でのいい加減な音楽教育が音痴を増産していると言っても過言ではありません。
実は私が小中学校の時に不得意だったのは音楽だけではなく、図画も体育も全くダメ、どれも才能なしで算数や国語以上に苦労していました。しかし、今回のボイストレーニングを通して思ったことは、実は図画も体育もどれも技術指導を受けたことがないのでできなくて当たり前だと言うことです。学校の図画の時間には教師がテーマを与えてただ書きなさいと指示するだけ、体育の時間にもただ走りなさい、跳び箱を跳びなさいと言うだけで、上手くできない人に技術的な指導はありません。
テレビのうんちく番組で絵を描くのに遠近法や画角の決め方を指導しているのを見て、絵の描き方にもちゃんと基本があると知りました。また、最近は運動音痴な子供に走り方などの体育の指導をする塾があり、足の上げ方などを指導すると子供の記録がいきなり向上するというようなニュースも目にしました。
考えてみれば学校教育における音楽、絵画、体育の教育は専門的な教育を受けたことがない、専門的な基礎知識がない教師が授業を行っているのですから、まともな指導ができないのは当たり前です。何かを習得するときには、まず基本を覚えることが大切ですが、教師がその基本がわかっていない素人では致し方ないことです。それなのにそんな素人である教師が、音楽、絵画、体育の教科を国語や算数と同じように生徒を評価するとは、なんともおかしな事です。素人の評価で才能のない子供は劣等感を抱き、コンプレックスを感じ、萎縮して行ってしまうと言う悪循環に陥ります。反対に得意な子供もきちんとした指導を受けることができませんから、その才能を伸ばすことできません。
ボイストレーニングをきっかけに日本の学校教育の問題点をつくづく感じましたが、そんな時1月25日の西日本新聞に「小学教員採用の体育・音楽実技を廃止 熊本県教委 志願者増を狙う」との記事が載りました。教員志願者の減少を食い止めるために、受験者に不評な体育と音楽の実技試験を廃止するとの記事です。図らずも教員自身が体育、音楽を苦手としていることが明らかになったわけです。このような処置は全国で広がっているとのことです。
つまり教師自身が体育、音楽を教えることに自信がないのですから、その先生に習い、採点される子供達はかわいそうとしか言い様がありません。子供たちの未来のためにこの問題を解決する必要があると思います。そしてこの問題を解決する方法は、外来講師の活用しかありません。教師の労働時間が長過ぎることが問題となっていますから、その点からも外来講師の活用が大いに有効です。カルチャースクリークの講師や大学院生や非常勤講師に活躍してもらえば、人材の心配はないように思えます。後は国の決断で予算措置だけです。
基本的な技術の習得が大切なことを私は自分の仕事、矯正歯科治療で日々感じています。基本的な技術を身につけることができたからこそ、どんな難しい患者さん治療に遭遇しても自分なりの治療法を新たに見いだして治療を成功させることができるのです。そしてその基本的な技術をアリゾナ州でのツイードコースで矯正治療のプロ中のプロであるTweed Foundationのインストラクターから教えて頂いたことで、今の私が、クリニックがあるのだと感謝しています。
子供達にも基礎的技術を習得した、その道のプロの先生、恩師に出会える機会を提供してあげられる教育制度を築くことが、日本の将来を明るいものにするために必要だと思います。
誤嚥ににつては、これまた妻の指導で「舌体操」で舌の筋肉を鍛えたことで、改善しましていきましたし、喉の違和感もうがいを強くすることで軽減しました。一番の難敵は声のかすれと言うか、声の出にくさでした。声を出すときに、すごく力が要るというか、大きな声を出そうとしないと声が小さくて聞き返されてしまうようになっていました。
呼吸器内科の先生になんとかならないかと訴えましたが、薬の種類を変えるぐらいでこれと言った対処方法はありませんでした。そんな時、患者さんからボイストレーニングを強く進められました。その患者さんは10年前に、私と同じように慢性喘息で吸入をして大きな声が出ない状態でしたが現在は喘息が完治し、声も大きな声でお話しされるので私もその患者さんが慢性喘息だったなんて全く気がつきませんでした。
その患者さんの強い勧めと、藁をもつかむ気持ちで私は半年前からジャズシンガー小野ひとみ先生の福岡天神ボイトレ部へボイストレーニングに通い始めました。実は私、歌を歌うのが大の苦手、小学校の頃から音楽の時間がいやでしょうがない音痴でしたから、ボイストレーニングに通うことに本当に抵抗がありました。その時これまた妻が、自分が歌が好きなこともあったでしょうが、一緒に行くからボイストレーニングを始めようと勇気づけてくれ、いわば付き添い月で毎週ボイストレーニングを始めました。
音痴という私に先生は「絶対に音痴は克服できる、歌が歌えるようになる」と言われてそれを信じて私も発声練習や音程の取り方等々努力を重ねました。おだて上手の先生のおかげで最近では、歌があんなに苦手だった私が一生私に縁がないと思っていたカラオケに妻と行くまでになったのです。声もボイストレーニングに行く前に比べれば、ずいぶん出るようになりました。人間何でもトレーニング、訓練が大切なことを身をもって悟りました。
そしてここからが本題ですが、あんなに酷い音痴だった私が歌が歌えるようになったのは、、先生の指導、歌を歌うことを教えるプロの指導のたまものです。私の音程のずれを細かく指摘し、私に合ったキーで先生が歌いそれを私がまねをする、いわば口移しのようにして声の台方、歌の歌い方を教えていただきました。
そして思ったことは、指導方法の重要さです。今まで小学校、中学校と9年間も音楽の時間で歌の歌い方も習ってきたはずですが、よく考えてみればただ「歌いなさい」と言われるだけで、歌い方、歌う技術を教えてもらった記憶は全くありません。自分のキーがなんなのか?いやキーが何であるかさえ知らないで、歌を歌えと言われてきたのですかから、生まれつき音感が良かったり、偶然自分のキーが標準だった人は上手く歌えたのでしょうが、そうでなかった私のような人は音痴と言われ、音痴と思い込み歌が歌えなくなってしまうのです。ある意味、学校でのいい加減な音楽教育が音痴を増産していると言っても過言ではありません。
実は私が小中学校の時に不得意だったのは音楽だけではなく、図画も体育も全くダメ、どれも才能なしで算数や国語以上に苦労していました。しかし、今回のボイストレーニングを通して思ったことは、実は図画も体育もどれも技術指導を受けたことがないのでできなくて当たり前だと言うことです。学校の図画の時間には教師がテーマを与えてただ書きなさいと指示するだけ、体育の時間にもただ走りなさい、跳び箱を跳びなさいと言うだけで、上手くできない人に技術的な指導はありません。
テレビのうんちく番組で絵を描くのに遠近法や画角の決め方を指導しているのを見て、絵の描き方にもちゃんと基本があると知りました。また、最近は運動音痴な子供に走り方などの体育の指導をする塾があり、足の上げ方などを指導すると子供の記録がいきなり向上するというようなニュースも目にしました。
考えてみれば学校教育における音楽、絵画、体育の教育は専門的な教育を受けたことがない、専門的な基礎知識がない教師が授業を行っているのですから、まともな指導ができないのは当たり前です。何かを習得するときには、まず基本を覚えることが大切ですが、教師がその基本がわかっていない素人では致し方ないことです。それなのにそんな素人である教師が、音楽、絵画、体育の教科を国語や算数と同じように生徒を評価するとは、なんともおかしな事です。素人の評価で才能のない子供は劣等感を抱き、コンプレックスを感じ、萎縮して行ってしまうと言う悪循環に陥ります。反対に得意な子供もきちんとした指導を受けることができませんから、その才能を伸ばすことできません。
ボイストレーニングをきっかけに日本の学校教育の問題点をつくづく感じましたが、そんな時1月25日の西日本新聞に「小学教員採用の体育・音楽実技を廃止 熊本県教委 志願者増を狙う」との記事が載りました。教員志願者の減少を食い止めるために、受験者に不評な体育と音楽の実技試験を廃止するとの記事です。図らずも教員自身が体育、音楽を苦手としていることが明らかになったわけです。このような処置は全国で広がっているとのことです。
つまり教師自身が体育、音楽を教えることに自信がないのですから、その先生に習い、採点される子供達はかわいそうとしか言い様がありません。子供たちの未来のためにこの問題を解決する必要があると思います。そしてこの問題を解決する方法は、外来講師の活用しかありません。教師の労働時間が長過ぎることが問題となっていますから、その点からも外来講師の活用が大いに有効です。カルチャースクリークの講師や大学院生や非常勤講師に活躍してもらえば、人材の心配はないように思えます。後は国の決断で予算措置だけです。
基本的な技術の習得が大切なことを私は自分の仕事、矯正歯科治療で日々感じています。基本的な技術を身につけることができたからこそ、どんな難しい患者さん治療に遭遇しても自分なりの治療法を新たに見いだして治療を成功させることができるのです。そしてその基本的な技術をアリゾナ州でのツイードコースで矯正治療のプロ中のプロであるTweed Foundationのインストラクターから教えて頂いたことで、今の私が、クリニックがあるのだと感謝しています。
子供達にも基礎的技術を習得した、その道のプロの先生、恩師に出会える機会を提供してあげられる教育制度を築くことが、日本の将来を明るいものにするために必要だと思います。