政治家、官僚に見せたい「ペンタゴン・ペーパーズ」院長コラム
2018/05/03 社会問題
先日、スピルバーグ監督、メリル・ストリープとトム・ハンクスという2大オスカー俳優が初共演を果たした話題の映画ペンタゴンペーパーズを見ました。 映画はリチャード・ニクソン大統領政権下の1971年、ベトナム戦争を勝ち目のない戦争と分析・記録した国防省の最高機密文書=通称「ペンタゴン・ペーパーズ」の存在をニューヨーク・タイムズがスクープ したことから始まります。ニクソン政権は機密隠蔽のためにニューヨーク・タイムズの記事の差し止め裁判所に認めさせますが、ライバル紙のワシントンポストも機密文書を入手し政権の欺瞞を暴きます。権力握り暴走する政権とこれを監視する報道とのせめぎ合い、民主主義における報道の自由の重要性を訴える物語です。
映画を見終わって最初に頭に浮かんだ言葉は「タイミング良過ぎ!」。森友学園、加計学園問題、防衛省園の南スーダン、イラク派遣日報隠蔽問題、そして財務省事務次官セクハラ問題と次々と問題、疑惑が噴出する日本の政界の現状に合わせて映画が公開されたと言っても良いくらいです。
権力を握る政治家や官僚は自分達のした事が誤りであったと気づいてもその間違いは認めようとせず、嘘をつき真実をねじ曲げ、隠し国民を欺くことで責任追及を逃れ自己保身に走る姿は、映画の中も現実も全く同じです。
本来ならば一般国民の手本となるべき政治家や官僚がなぜ誠実に問題に対処できないのでしょう。私はその根本にあるのは「エリート意識」だと思います。官僚は当然子供の頃か学業も優秀で常に褒められ否定されることなく育ってきますから、いつの間にか「自分のする事は常に正しい」と思い込んでしまっているのです。そしてそれが高じて他人を見下す「エリート意識」となり、常に人をランク付けする階級意識を持つようになっていくのです。
自民党に多い二世、三世の政治家に至っては、子供の頃から学業だけでなく経済的にも社会的にも恵まれ、ちやほやされて育ってきますから「エリート意識」とランク付けの階級意識を持つのは当然のことでしょう。
財務次官のセクハラもつまりは「エリート意識」と「階級意識」の現れで、こんな人は女性に対する嫌がらせだけでなく、職場では部下に向かってパワハラを無意識のうちに行っているに違いありません。セクハラもパワハラも元を正せば結局「弱い者いじめ」、卑しい人間のやることです。それが官僚トップになってしまっていたとは世も末です。
その上、官僚を動かす総理も大臣も森友学園、加計学園の問題でも明らかなように自分達は何をやっても許される、不正がばれたところで強気で押し切ればいずれ国民も忘れてしまう。そして安倍総理に至っては、自分に変わる総理候補がいるものかと高を括って、国会でも野党に追及にまともに答えようともしません。
安倍首相はフェイクニュースだと言わんばかりに朝日新聞を攻撃していましたが、その朝日新聞に森友学園への国有地格安売却問題をめぐり、財務省が学園との契約に関する決裁文書改ざんをスクープされたのは、何とも皮肉な話です。改ざん前の決裁文書の中に首相夫人の名前が登場するのにそれでも、自身の関与や影響を否定し続ける安倍首相はやはり国民を見下す、いや見くびっているとしか思えません。
そして、財務次官のセクハラを週刊新潮にスクープされ、音声までも公開されたのに会食の事実さえも否定した事務次官、そしてそれを擁護する麻生財務大臣。最終的に次官を辞任しましたがセクハラは否定したまま、会食の事実を認めたのに以前の嘘については何の謝罪もありません。国民に嘘をついた事が明らかになったにも関わらず辞任を認めた内閣、そのお陰で血税から嘘つき時間に5千万円以上の退職金まで払う事になりました。
これらすべては、異常な「エリート意識」「階級意識」持ち主である政治家、官僚が一般国民を見下している事の証拠に他なりません。映画では、使命感に燃えたメリル・ストリープ演じるワシントンポストの社主が政権の圧力に屈せず機密文書の全貌を紙面に公開し、司法も報道の自由を重視して政権の鼻を明かすのです。現実社会でも国民が安倍政権とそれに忖度する官僚に選挙でひと泡吹かせたいところですが、多くの国民は景気が良くなっいる現状つまりは目先の利益に目がくらんでいて、この期におよんでも世論調査で野党の支持率は低迷したままです。正義よりも経済、目先の利益に目がくらんだ国民に明るい未来があるのか心配になるのは私だけでしょうか?
ペンタゴンペーパーズのエンディングではウォーターゲート事件の始まりを描き、ワシントンポストを始とする報道の追及でリチャード・ニクソンは任期中に辞任した唯一のアメリカ大統領となったことを思い出させ、報道の自由と民主主義の大切さを印象づけていました。
不祥事連発の財務省では改めて職員に公務員としての自覚を促す研修を行うとの報道がありましたが、研修の始にまず、ペンタゴン・ペーパーズを鑑賞させ、レポートを出させるのはどうでしょう。ペンタゴン・ペーパーズは官僚や政治家の必読書ならぬ、必見ムービーだと思います。
映画を見終わって最初に頭に浮かんだ言葉は「タイミング良過ぎ!」。森友学園、加計学園問題、防衛省園の南スーダン、イラク派遣日報隠蔽問題、そして財務省事務次官セクハラ問題と次々と問題、疑惑が噴出する日本の政界の現状に合わせて映画が公開されたと言っても良いくらいです。
権力を握る政治家や官僚は自分達のした事が誤りであったと気づいてもその間違いは認めようとせず、嘘をつき真実をねじ曲げ、隠し国民を欺くことで責任追及を逃れ自己保身に走る姿は、映画の中も現実も全く同じです。
本来ならば一般国民の手本となるべき政治家や官僚がなぜ誠実に問題に対処できないのでしょう。私はその根本にあるのは「エリート意識」だと思います。官僚は当然子供の頃か学業も優秀で常に褒められ否定されることなく育ってきますから、いつの間にか「自分のする事は常に正しい」と思い込んでしまっているのです。そしてそれが高じて他人を見下す「エリート意識」となり、常に人をランク付けする階級意識を持つようになっていくのです。
自民党に多い二世、三世の政治家に至っては、子供の頃から学業だけでなく経済的にも社会的にも恵まれ、ちやほやされて育ってきますから「エリート意識」とランク付けの階級意識を持つのは当然のことでしょう。
財務次官のセクハラもつまりは「エリート意識」と「階級意識」の現れで、こんな人は女性に対する嫌がらせだけでなく、職場では部下に向かってパワハラを無意識のうちに行っているに違いありません。セクハラもパワハラも元を正せば結局「弱い者いじめ」、卑しい人間のやることです。それが官僚トップになってしまっていたとは世も末です。
その上、官僚を動かす総理も大臣も森友学園、加計学園の問題でも明らかなように自分達は何をやっても許される、不正がばれたところで強気で押し切ればいずれ国民も忘れてしまう。そして安倍総理に至っては、自分に変わる総理候補がいるものかと高を括って、国会でも野党に追及にまともに答えようともしません。
安倍首相はフェイクニュースだと言わんばかりに朝日新聞を攻撃していましたが、その朝日新聞に森友学園への国有地格安売却問題をめぐり、財務省が学園との契約に関する決裁文書改ざんをスクープされたのは、何とも皮肉な話です。改ざん前の決裁文書の中に首相夫人の名前が登場するのにそれでも、自身の関与や影響を否定し続ける安倍首相はやはり国民を見下す、いや見くびっているとしか思えません。
そして、財務次官のセクハラを週刊新潮にスクープされ、音声までも公開されたのに会食の事実さえも否定した事務次官、そしてそれを擁護する麻生財務大臣。最終的に次官を辞任しましたがセクハラは否定したまま、会食の事実を認めたのに以前の嘘については何の謝罪もありません。国民に嘘をついた事が明らかになったにも関わらず辞任を認めた内閣、そのお陰で血税から嘘つき時間に5千万円以上の退職金まで払う事になりました。
これらすべては、異常な「エリート意識」「階級意識」持ち主である政治家、官僚が一般国民を見下している事の証拠に他なりません。映画では、使命感に燃えたメリル・ストリープ演じるワシントンポストの社主が政権の圧力に屈せず機密文書の全貌を紙面に公開し、司法も報道の自由を重視して政権の鼻を明かすのです。現実社会でも国民が安倍政権とそれに忖度する官僚に選挙でひと泡吹かせたいところですが、多くの国民は景気が良くなっいる現状つまりは目先の利益に目がくらんでいて、この期におよんでも世論調査で野党の支持率は低迷したままです。正義よりも経済、目先の利益に目がくらんだ国民に明るい未来があるのか心配になるのは私だけでしょうか?
ペンタゴンペーパーズのエンディングではウォーターゲート事件の始まりを描き、ワシントンポストを始とする報道の追及でリチャード・ニクソンは任期中に辞任した唯一のアメリカ大統領となったことを思い出させ、報道の自由と民主主義の大切さを印象づけていました。
不祥事連発の財務省では改めて職員に公務員としての自覚を促す研修を行うとの報道がありましたが、研修の始にまず、ペンタゴン・ペーパーズを鑑賞させ、レポートを出させるのはどうでしょう。ペンタゴン・ペーパーズは官僚や政治家の必読書ならぬ、必見ムービーだと思います。