「楽」は悪魔のささやき院長コラム
2017/12/02 医療・健康
93才になる母がいよいよ弱ってきて日常生活で自立歩行が困難な状態になってきたため、7月の始めにサービス付き高齢者専用住宅に入居してもらいました。自宅にいた時には、手すりにつかまって何とか歩いていましたが、施設に入居した途端に何でもしてもらえることを良いことに車いすを使い、全く自分で歩くことをしようとしなくなりました。そして自分で立ち上がる事ができなくなったのでトイレにも自分で行けなくなり、大人用のオムツを使うことになりました。
その後生活環境の変化によるストレスから胃潰瘍になり3週間ほど入院生活を余儀なくされ、その間はベットの上から全く動く事はありませんでした。退院する頃には、体力は衰えベットの上で起き上がることさえ自分でできない状態になっていました。食べる意欲を失い点滴で命を繋ぐ状態に陥り、食べなくなったことで咬む力や飲み込む力が一層衰えていくという悪循環になっていきました。施設側からは胃瘻による経管栄養を行うかどうかを決断する時期が近づいているとまで言われるくらいの状態までになってしまいました。
私たち家族には胃瘻をする気持ちはありませんでしたから何とか口から食べてもらいたいと願い、介護施設のスタッフと一緒に母に生きる意欲を持ってもらう事に努めました。その気持ちが伝わったのか何とか高カロリー栄養ドリンクを飲む様になり、そこから少しづつ食事介助をしてもらってですが固形物も食べられる様になりました。
食欲はありませんが喋ることは達者なので食事の介助をしている私に母が「食べるのは、楽じゃない」、「もう食べたくない」、「えらい(博多弁ならキツイ、標準語なら疲れる)」と愚痴?なのか甘えなのか?そんなことを言い続けます。そんな母の言葉が聞こえなかった様に私は「ほら、もっと咬んで」、「咬んでるうちに自然と飲み込めるから」、「舌を突き出して、舌のストレッチしたら、飲み込みやすくなるよ」と言いながら、母の口に食べ物を押し込んでいました。
文句を言いながらもほんの少しづつでも食べれる様になると顔色が良くなり、何となく表情もしっかりした感じになってきました。多少無理強いで、母にとっては嫌なことだったでしょうが、大変でも「楽」をさせないことが、回復に繋がって来た様に思いました。それからは母に「楽をすれば、どんどんダメになる」「楽は悪魔のささやき」と言い聞かせながら、時々ですが介護の手伝いをしています。
母が「いくつになっても生きていくのは大変、楽じゃない」と言いますが、93年間生きてきた母にそう言われると人の人生は苦労するためにあるのかも知れないとさえ思えてしまいました。人が本当に楽になるのは結局、天に召された時なのかも知れません。生きると言う事は何かをすることですから当然、体や頭を使うの訳なので「楽」ではないはずですから。
こんな母の介護を通して「楽」をする事が人の生きる力を失わせていくことを実感しましたが、良く考えてみると「楽」をしたいと言う人の気持ちは何も高齢者ばかりではありません。若い時でも勉強や仕事に疲れたとき、「楽」をしたいと言う気持ちになることは誰にでもあるはずです。その「楽」をしたいと言う気持ち、誘惑に負けて怠けてしまえば結果は推して知るべしでしょう。
私自身も体力の衰えからか膝の痛みを感じ鍼治療を受けていましたが、ふと読んだ本にウェイトトレーニングで足の筋肉を鍛えれば膝の痛みは治ると書いてあったので、ジムで出来る限り負荷をかけてトレーニングしたところ、いつの間にか膝の痛みはなくなりました。実はジムにはもう10年以上通っていましたが、マッチョになるために行っているんじゃなくて健康維持のためだからと心に言い訳して、軽いウェイトで「楽」をしていたのです。筋肉を付けるためには「過負荷の原則」で大きく負荷をかけないと意味のないことを知っていながら、「楽は悪魔のささやき」に負けていた訳です。
体のことだけではありません。仕事の時にも悪魔はささやきます。例えば私の仕事である矯正歯科は、以前は矯正治療と言えばワイヤーを患者さんに一人一人に合わせて曲げて治療していましたが、これはには技術も必要ですし手間もかかります。そこで何とか「楽」な方法はないかと考え出されたのが、平均値を基にブラケットの厚さや傾きを変えてワイヤーを曲げる必要をなくしたストレートワイヤーテクニックです。しかし所詮は平均値ですから、治療結果もそれなりですし、通常と違う歯を抜歯した時には結局ワイヤーを曲げて調節することが必要になりかえって手間がかかることもしばしばです。
矯正歯科医だけでなく、矯正治療を受ける患者さんにも悪魔は「楽」をささやきます。先月の院長のコラムに書いたマウスピース矯正が最たるもの。簡単に目立たず矯正治療ができるを売り物にしていますが当然効果には限界がありますから、上手くいかないで再治療のためにクリニックを受診される患者さんを何人も診察しました。その患者さん達の話を聞いてみるとマウスピース矯正を始める時心の片隅に「本当に大丈夫なのか?」との疑念があったのですが、「楽」に矯正治療ができるのではと悪魔のささやきに負けてしまったようでした。
日常生活の場でも、仕事の場でも「楽は悪魔のささやき」と自分に言い聞かせ、大変な事も諦めずコツコツ努力して乗り越えていくことが大切であり、それが人生なんだと母から教えてもらった気がしています。
その後生活環境の変化によるストレスから胃潰瘍になり3週間ほど入院生活を余儀なくされ、その間はベットの上から全く動く事はありませんでした。退院する頃には、体力は衰えベットの上で起き上がることさえ自分でできない状態になっていました。食べる意欲を失い点滴で命を繋ぐ状態に陥り、食べなくなったことで咬む力や飲み込む力が一層衰えていくという悪循環になっていきました。施設側からは胃瘻による経管栄養を行うかどうかを決断する時期が近づいているとまで言われるくらいの状態までになってしまいました。
私たち家族には胃瘻をする気持ちはありませんでしたから何とか口から食べてもらいたいと願い、介護施設のスタッフと一緒に母に生きる意欲を持ってもらう事に努めました。その気持ちが伝わったのか何とか高カロリー栄養ドリンクを飲む様になり、そこから少しづつ食事介助をしてもらってですが固形物も食べられる様になりました。
食欲はありませんが喋ることは達者なので食事の介助をしている私に母が「食べるのは、楽じゃない」、「もう食べたくない」、「えらい(博多弁ならキツイ、標準語なら疲れる)」と愚痴?なのか甘えなのか?そんなことを言い続けます。そんな母の言葉が聞こえなかった様に私は「ほら、もっと咬んで」、「咬んでるうちに自然と飲み込めるから」、「舌を突き出して、舌のストレッチしたら、飲み込みやすくなるよ」と言いながら、母の口に食べ物を押し込んでいました。
文句を言いながらもほんの少しづつでも食べれる様になると顔色が良くなり、何となく表情もしっかりした感じになってきました。多少無理強いで、母にとっては嫌なことだったでしょうが、大変でも「楽」をさせないことが、回復に繋がって来た様に思いました。それからは母に「楽をすれば、どんどんダメになる」「楽は悪魔のささやき」と言い聞かせながら、時々ですが介護の手伝いをしています。
母が「いくつになっても生きていくのは大変、楽じゃない」と言いますが、93年間生きてきた母にそう言われると人の人生は苦労するためにあるのかも知れないとさえ思えてしまいました。人が本当に楽になるのは結局、天に召された時なのかも知れません。生きると言う事は何かをすることですから当然、体や頭を使うの訳なので「楽」ではないはずですから。
こんな母の介護を通して「楽」をする事が人の生きる力を失わせていくことを実感しましたが、良く考えてみると「楽」をしたいと言う人の気持ちは何も高齢者ばかりではありません。若い時でも勉強や仕事に疲れたとき、「楽」をしたいと言う気持ちになることは誰にでもあるはずです。その「楽」をしたいと言う気持ち、誘惑に負けて怠けてしまえば結果は推して知るべしでしょう。
私自身も体力の衰えからか膝の痛みを感じ鍼治療を受けていましたが、ふと読んだ本にウェイトトレーニングで足の筋肉を鍛えれば膝の痛みは治ると書いてあったので、ジムで出来る限り負荷をかけてトレーニングしたところ、いつの間にか膝の痛みはなくなりました。実はジムにはもう10年以上通っていましたが、マッチョになるために行っているんじゃなくて健康維持のためだからと心に言い訳して、軽いウェイトで「楽」をしていたのです。筋肉を付けるためには「過負荷の原則」で大きく負荷をかけないと意味のないことを知っていながら、「楽は悪魔のささやき」に負けていた訳です。
体のことだけではありません。仕事の時にも悪魔はささやきます。例えば私の仕事である矯正歯科は、以前は矯正治療と言えばワイヤーを患者さんに一人一人に合わせて曲げて治療していましたが、これはには技術も必要ですし手間もかかります。そこで何とか「楽」な方法はないかと考え出されたのが、平均値を基にブラケットの厚さや傾きを変えてワイヤーを曲げる必要をなくしたストレートワイヤーテクニックです。しかし所詮は平均値ですから、治療結果もそれなりですし、通常と違う歯を抜歯した時には結局ワイヤーを曲げて調節することが必要になりかえって手間がかかることもしばしばです。
矯正歯科医だけでなく、矯正治療を受ける患者さんにも悪魔は「楽」をささやきます。先月の院長のコラムに書いたマウスピース矯正が最たるもの。簡単に目立たず矯正治療ができるを売り物にしていますが当然効果には限界がありますから、上手くいかないで再治療のためにクリニックを受診される患者さんを何人も診察しました。その患者さん達の話を聞いてみるとマウスピース矯正を始める時心の片隅に「本当に大丈夫なのか?」との疑念があったのですが、「楽」に矯正治療ができるのではと悪魔のささやきに負けてしまったようでした。
日常生活の場でも、仕事の場でも「楽は悪魔のささやき」と自分に言い聞かせ、大変な事も諦めずコツコツ努力して乗り越えていくことが大切であり、それが人生なんだと母から教えてもらった気がしています。