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院長コラムで院長を知ろう!矯正歯科専門医 河合悟が思うこと。

おごれる者久しからず院長コラム

2017/08/01 政治・経済

国会が閉会中にも関わらず安倍政治、自民党政権への批判、不振は留まるところを知らず、内閣支持率はついにレッドライト言われる30%を割り込みました。先日の加計学園問題の国会閉会中審査でも安倍首相は丁寧な言葉遣いで「知らなかった」を繰り返し、過去の答弁との整合性を問われて、結局過去の答弁の修正を余儀なくさせられる始末です。官僚も「記憶にない、「記録がない」のないないづくしで、疑惑の解明にはほど遠く、返って国民の疑惑は深まったと考える人が多かったのではないでしょうか?

 加計学園疑惑に続くのは、防衛省の南スーダンPKO日報疑惑です。自衛隊制服組は「戦闘」書かれていた日報が陸上自衛隊内で保管されていた事実を非公表にする事について稲田朋美前防衛大臣も了承していたとの言い分ですが、大臣はこれまた自分は知らなかったと言い張りました。非公表にすると判断したのなら防衛省トップ自ら隠蔽を主導した訳ですから大問題ですし、また逆に大臣が知らないところで隠蔽が行われていたのであれば、防衛省のトップである大臣が防衛省をコントロールできていなかったのですから、これも大きな責任問題です。いずれにしても稲田朋美大臣は大臣としての職責を果たしていなかったことは明白です。

 安倍首相も稲田前防衛大臣も「知らなかった」、「認識はなかった」と何度も言いますが、これで国民が納得すると考えているのでしょうか?総理が言えば、大臣が言えば、国民は黙って聞くのが当たり前と思っているのか?安倍首相が7月の都議会議員選挙の最終日の街頭演説で安倍首相に批判的なヤジを飛ばす聴衆に向かって「こんな人達に、私たちは負けるわけにはいかない。」と言った様に国民を「こんな人達」と見下しているとしか思えません。そこにあるのは「おごり」だけです。

 稲田前防衛大臣は防衛大臣就任の間もない頃いつも防衛省六法を持ち歩き、国会答弁や医者会見の要旨についての防衛省幹部の説明に対して法律の条文のどこに記載されているかと法的根拠を問いただし、納得いかないと「司法試験に合格いていないくせに」とののしったと報道されていました。これも私が一番偉いと思い込み、防衛省の官僚も見下しているから出来る発言、行動、「おごり」の成せる技でしょう。

 優秀なハズの首相や大臣、政治家がこんなおごり高ぶった発言をすれば、反感を買い、信用を失うことくらい分からないのでしょうか?巷の一般の人が分かることが、優秀な人には分からないのか、それとも分かっていても、一般の国民はどうせ何も出来なと高を括ってやりたい放題しているのか?どちらでしょう。

 普通の感覚なら国のトップ、省庁のトップが「知らなかった」、「理解していない」なんて、恥ずかしくて言えないこと思うのですが、平然として言えてしまうのも「おごり」の成せる技としか言いようがありません。

 人は誰でもお金や肩書きを持つと偉くなったと思い込んでしまいがちですが、その中でもおごり高ぶる人達の「おごり」はどこで養われてきたのでしょうか?政治家になるような人は裕福な家柄に生まれ(特に自民党議員は世襲の二世議員も多いし)、子供の頃から学業に秀でて、友達からも先生からも一目置かれちやほやされ、親からも褒められ甘やかされて育ってきた結果が、おごり高ぶる様な人間になってしまったのかも知れません。人も羨むような生い立ちが、「おごり」を形成してしまったのでしょうか?しかし、全ての政治家が人をおごり高ぶる人柄とも思えませんから、そこには生まれ育った環境だけではなく、生まれながらにの性格、資質も関係するのかも知れません。

 そう言えば、公設秘書に「バカヤロー」を叫び暴行した豊田真由子議員の父親が取材に行ったテレビ局のスタッフに向かって「あなた立ちみたいな人に話すことはない。」とけんもほろろに叫びおごり高ぶっていましたが、これを見て思ったことはやっぱり親子、血は争えないのかと言う事でした。

 政治家の不祥事が頻発する事から本人の資質、育った環境どちらの要因が強いのかは分かりませんが、首相や大臣、政治家になると多くの人が、自分を過信し、「おごる」ようになるのは珍しいことではないようです。それなのにおごり高ぶる貧相な人間とも知らず、私たちもついつい政治家の経歴や口の巧さにごまかされ、不覚にも選挙で当選させてしまった訳です。

 しかし、安倍政権の支持率低下や稲田前防衛大臣の悪評判でも分かるように「おごれる者久しからず」のことわざから逃れることは出来ません。

 そして我が身を振り返って見ると幸か不幸は、私はとても裕福とは言えない極々普通のサラリーマンの家庭に生まれました。10歳年上の兄と二人兄弟で物心ついた頃には家の中で子供は自分だけで、常に自分は何も出来ない甘えっ子の立場、何を言っても相手にされない発言権のない甘えっ子で育ちました。小学校、中学校での成績もぱっとせず、体も小さく体力もないので運動も不得意で目立たないおとなしい子供時代でした。高校は何とか進学校に入りましたが、そこでも低空飛行で当然浪人することになり、何とか私立の歯学部に入り歯科医師になりました。

 ですから、私の心の奥底には「自分なんて」「自分で大丈夫か?」という自分自身への自信のなさと疑念があり、それによって良く言えば謙虚な心を持つ事ができました。そしてこんな自分でも何とか矯正歯科医としてやって来れたのは「回りの人の助けがあって」「患者さんの支えがあって」こそとい言う感謝の気持ちがあるのです。
自分に対する疑念があるから、日々の診療やクリニックの運営でも「これで良かったのか?」「もっとよい方法はないのかと?」と自問自答し、日々改良、改革を行ってきました。自分に自信がある人は「これで大丈夫」と慢心し、それ以上に前には進めません。疑問があるから、疑いがの気持ちがあるから、改良が行われ、進歩し前に進んでいけるのだと思います。

 そして感謝の気持ち、自分のためでなく人のためと思うと人は頑張れます。自分自身のためと思うと、自分自身があきらめれば終わりですから、途中で仕事を投げ出すのも簡単ですが、人のためであれば自分だけのことでは済みませんから精一杯頑張るものです。その結果、事を成し遂げられるのです。人のためと言う大義名分が引いては自分自身を成功へ導いてくれるのです。

 私も来月還暦を迎え次の新しい道を歩み始めるのですが、「おごれる者久しからず」の言葉を胸に刻み、謙虚な気持ちと感謝の気持ちを忘れる事なく社会に役立つ新しい仕事にチャレンジできればと思っています。

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