喉元過ぎれば熱さを忘れる院長コラム
2021/06/01 社会問題
緊急事態宣言が発出されたにも関わらずコロナウイルスの感染拡大は収まらず、結局緊急事態宣言期間の延長が決まりました。コロナウイルスの感染の状況は1年前と変わらないと言うよりも1年前より感染状況や医療の逼迫度合いも酷くなっているのが現状です。国の対応も1年前と変わらず自粛自粛と国民に訴えるばかりで、感染大防止の具体的な対策は行われません。1年前の緊急事態宣言発出の時は、人と人との接触を8割減らすを目標にデパートも閉まり、企業もテレワークを推進して出社する人を大きく減らしました。国民も初めての緊急事態宣言に驚き自粛に励んだ結果、西欧諸国に比べて感染者も死者も非常に少なく感染拡大を押さえ込む事ができました。
幸か不幸か、この国民だよりの感染拡大抑制の成功で政府が油断し次の感染拡大に対する対策を怠った結果、昨年末からの大規模な感染拡大第3派を招いてしまったのです。検査体制の整備や保健所の人員の増強、病床確保等を行うための法整備や予算の配分をないがしろにしてきた事のが明らかです。今となっては感染防止対策予算に優先して、二階幹事長の有力支持母体である観光業のためにGoToキャンペーンを大々的に推し進めていたことは今になって見れば呆れかえって開いた口が塞がりません。
国民も緊急事態宣言慣れ、自粛疲れで、行動抑制が不十分な状態となり、もうここまで来ると感染拡大を抑えるのは、ワクチン接種しかないのが現状です。それなのにここでも、政府の対応は後手後手に回り、ワクチンの打ち手不足解消のために歯科医師、薬剤師、緊急救命師、検査技師等の活用を図ろうとしていますが、本来なら医師法の改正を必要とする事ですし、新たな研修を行うことも必要でしょうから、事前の準備が必要だったはずです。付け焼き刃で首相が言い出し手も、すぐに実現するのは中々難しいの現実です。
結局、政府は国民に苦難を強いた緊急事態宣言の教訓を何も生かす事なく、今に至って昨年と変わらず右往左往している現状を見ると「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のことわざをも思い出さずにはいられません。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」は政治家に限ったことではありません。今回の緊急事態宣言発出後の東京の通勤時間帯の駅の混雑状況を見ると多くの企業も結局去年の教訓を生かしているとは思えません。第一次緊急事態宣言で出社制限をせざる得ず、テレワークの推進を苦労して推進したにもかかわらず、コロナが少し落ち着けば元通りの業務の体系にも取り、人口密集の都会で業務を行うことのリスクを知ったはずなのに、大企業で機能を地方に移したのはパソナくらいです。去年と同じ事をくり返している企業、去年の教訓を元に代わらない企業に未来はありません。日本を動かしている政治も企業もコロナ禍の教訓を生かすことがなく、何も変わらない、変われない社会に未来があるのか心配になりました。
そんな心配をしていたら、もう一つ変われない日本を象徴するような”「再生エネ後進国」日本で太陽光余る 出力制御頻発も”と言う記事が5月28日の日経新聞朝刊に載っていました。東日本大震災以降、自然エネルギー発電電力の優遇買い取り制度の影響で太陽光発電が急増し、現在好天候時には日本全国の電力需要の半分以上が太陽光でまかなわれたと伝えています。しかし太陽光発電は天候に左右されやすくため需給がバランスがととれず、周波数が乱れて停電につながるリスクがあります。そして今では、季節や地域によって太陽光発電の供給が需要を上回ってしまい、出力制御に追い込まれる事もしばしらしいです。
太陽光発電を効率的に利用するためには、過疎地域に設置されることが多い太陽光発電から人口密集地への広域な発電網や余った電力を貯めておくための蓄電池や揚水発電(山の上下に水をためる池をつくり、2つの池の間に発電所をつくる水力発電所で電力が余っているときは下部から上部に水をくみ上げることで電力を消費し、反対に電力が不足するときは上部から下部に水を流すことで発電する)などの整備が欠かせません。しかし、電力会社は従来の原子力発電だよりから抜け出せず、原発再稼働のための安全対策には数千億という巨額の投資を行いますが、自然エネルギーの利用為の投資はごく僅かです。
おまけに審査後の電力不足の時に国民にあれだけ節電を呼びかけたのを忘れたかのように、今では震災前の同じように「オール電化住宅」の広告を流しまくっています。その結果が電力不足で、今年の冬は老朽化で休止している火力発電所の再稼働が必要と言い出す始末です。(これは実は、原発再稼働に国民の支持を集めるための策略家も知れませんが…)
国民も震災後の節電生活で家庭のエネルギーを電力だけに頼る一本足打法がいかにリスクが高いのか身にしみたはずなのに、オール電化で車もEV(電気自動車)を推奨する企業に不信感を抱かないのが不思議です。私は、以前から災害時のリスク軽減のため、電気、ガス、そして暖房には石油ストーブと過程でのエネルギ利用の分散化を計っています。個人、個人も国や企業の意向に迎合せず、苦難の教訓を生かす事が安心安全な暮らしには重要だと思います。
日本人は過去のことは水に流し根に持たない潔いこと良しとしますが、過去の戒めを忘れてしまうこととは違います。過去のことを水に流す潔さと、喉元過ぎれば熱さを忘れるとは違うのです。過去に縛られず、過去の経験を教訓に、未来に向かうことが重要です。 私自身もクリニックの経営難から二十数年前にうつ病になりました。1年もしないうちにうつ病から回復しましたが、その事のことを教訓にする為、忘れない為に今でも財布の中にその時お世話になった心療内科の診察券を入れています。そして難題に直面して判断に迷い、足がすくみそうになった時、苦しかった時の事を思い出し、自分を奮い立たせて今日まで一歩一歩前に進む進んできました。
人の人生も社会も国の情勢も良い時ばかりでなく苦難に満ちているのが現実です。その苦難、困難を何とか乗り越え、その苦難で得た教訓を忘れず糧として、未来に向かって努力してこそ、明るい美来が築けるのだと思います。
日本を導く政治家、官僚、企業経営者、そして未来を築く国民は1年以上の長きに渡るコロナ禍の教訓を糧として未来に向かって進んでいけるでしょうか?「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言う事のないことを願うばかりです。
幸か不幸か、この国民だよりの感染拡大抑制の成功で政府が油断し次の感染拡大に対する対策を怠った結果、昨年末からの大規模な感染拡大第3派を招いてしまったのです。検査体制の整備や保健所の人員の増強、病床確保等を行うための法整備や予算の配分をないがしろにしてきた事のが明らかです。今となっては感染防止対策予算に優先して、二階幹事長の有力支持母体である観光業のためにGoToキャンペーンを大々的に推し進めていたことは今になって見れば呆れかえって開いた口が塞がりません。
国民も緊急事態宣言慣れ、自粛疲れで、行動抑制が不十分な状態となり、もうここまで来ると感染拡大を抑えるのは、ワクチン接種しかないのが現状です。それなのにここでも、政府の対応は後手後手に回り、ワクチンの打ち手不足解消のために歯科医師、薬剤師、緊急救命師、検査技師等の活用を図ろうとしていますが、本来なら医師法の改正を必要とする事ですし、新たな研修を行うことも必要でしょうから、事前の準備が必要だったはずです。付け焼き刃で首相が言い出し手も、すぐに実現するのは中々難しいの現実です。
結局、政府は国民に苦難を強いた緊急事態宣言の教訓を何も生かす事なく、今に至って昨年と変わらず右往左往している現状を見ると「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のことわざをも思い出さずにはいられません。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」は政治家に限ったことではありません。今回の緊急事態宣言発出後の東京の通勤時間帯の駅の混雑状況を見ると多くの企業も結局去年の教訓を生かしているとは思えません。第一次緊急事態宣言で出社制限をせざる得ず、テレワークの推進を苦労して推進したにもかかわらず、コロナが少し落ち着けば元通りの業務の体系にも取り、人口密集の都会で業務を行うことのリスクを知ったはずなのに、大企業で機能を地方に移したのはパソナくらいです。去年と同じ事をくり返している企業、去年の教訓を元に代わらない企業に未来はありません。日本を動かしている政治も企業もコロナ禍の教訓を生かすことがなく、何も変わらない、変われない社会に未来があるのか心配になりました。
そんな心配をしていたら、もう一つ変われない日本を象徴するような”「再生エネ後進国」日本で太陽光余る 出力制御頻発も”と言う記事が5月28日の日経新聞朝刊に載っていました。東日本大震災以降、自然エネルギー発電電力の優遇買い取り制度の影響で太陽光発電が急増し、現在好天候時には日本全国の電力需要の半分以上が太陽光でまかなわれたと伝えています。しかし太陽光発電は天候に左右されやすくため需給がバランスがととれず、周波数が乱れて停電につながるリスクがあります。そして今では、季節や地域によって太陽光発電の供給が需要を上回ってしまい、出力制御に追い込まれる事もしばしらしいです。
太陽光発電を効率的に利用するためには、過疎地域に設置されることが多い太陽光発電から人口密集地への広域な発電網や余った電力を貯めておくための蓄電池や揚水発電(山の上下に水をためる池をつくり、2つの池の間に発電所をつくる水力発電所で電力が余っているときは下部から上部に水をくみ上げることで電力を消費し、反対に電力が不足するときは上部から下部に水を流すことで発電する)などの整備が欠かせません。しかし、電力会社は従来の原子力発電だよりから抜け出せず、原発再稼働のための安全対策には数千億という巨額の投資を行いますが、自然エネルギーの利用為の投資はごく僅かです。
おまけに審査後の電力不足の時に国民にあれだけ節電を呼びかけたのを忘れたかのように、今では震災前の同じように「オール電化住宅」の広告を流しまくっています。その結果が電力不足で、今年の冬は老朽化で休止している火力発電所の再稼働が必要と言い出す始末です。(これは実は、原発再稼働に国民の支持を集めるための策略家も知れませんが…)
国民も震災後の節電生活で家庭のエネルギーを電力だけに頼る一本足打法がいかにリスクが高いのか身にしみたはずなのに、オール電化で車もEV(電気自動車)を推奨する企業に不信感を抱かないのが不思議です。私は、以前から災害時のリスク軽減のため、電気、ガス、そして暖房には石油ストーブと過程でのエネルギ利用の分散化を計っています。個人、個人も国や企業の意向に迎合せず、苦難の教訓を生かす事が安心安全な暮らしには重要だと思います。
日本人は過去のことは水に流し根に持たない潔いこと良しとしますが、過去の戒めを忘れてしまうこととは違います。過去のことを水に流す潔さと、喉元過ぎれば熱さを忘れるとは違うのです。過去に縛られず、過去の経験を教訓に、未来に向かうことが重要です。 私自身もクリニックの経営難から二十数年前にうつ病になりました。1年もしないうちにうつ病から回復しましたが、その事のことを教訓にする為、忘れない為に今でも財布の中にその時お世話になった心療内科の診察券を入れています。そして難題に直面して判断に迷い、足がすくみそうになった時、苦しかった時の事を思い出し、自分を奮い立たせて今日まで一歩一歩前に進む進んできました。
人の人生も社会も国の情勢も良い時ばかりでなく苦難に満ちているのが現実です。その苦難、困難を何とか乗り越え、その苦難で得た教訓を忘れず糧として、未来に向かって努力してこそ、明るい美来が築けるのだと思います。
日本を導く政治家、官僚、企業経営者、そして未来を築く国民は1年以上の長きに渡るコロナ禍の教訓を糧として未来に向かって進んでいけるでしょうか?「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言う事のないことを願うばかりです。