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院長コラムで院長を知ろう!矯正歯科専門医 河合悟が思うこと。

原発再稼働必要ですか?院長コラム

2015/06/01 

 九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)についての原子力規制委員会の審査が終了し、いよいよ震災後初の原発の再稼働が近づいています。幸か不幸か震災後初めて再稼働する原発が身近な鹿児島なので、再稼働に関する報道も全国紙よりも西日本新聞などの地方紙の方が多く、福岡市民の関心も高いと言いたいところですが、なかなか市民の話題には上っていないようです。そんな市民の無関心を良いことに、福島原発の事故等なかったかのように九州電力は1号機を7月下旬には再稼働させるらしいです。

 一度、事故が起きれば取り返しの付かない悲惨な結果が待っていることを承知の上で、何故原発を再稼働させるのでしょうか?原発再稼働を推進しようとしている経済界や自民党を中心とした政界の再稼働の根拠は原発の発電コストが、他の発電コストよりも大幅に低いという経済的な理由が全てです。

 震災後に原発が次々停止した当初は、原発が稼働しないと発電量が不足して日本各地で夏の電力需要が旺盛な時期を乗り切ることができず、大規模停電の恐れがあると国民の危機感を煽っていましたが、結局電力不足は起きず、電力不足を原発再稼働の理由にする事に失敗しました。しかしこの点に関して、政府や電力会社は国民がな得できる説明することなく、再稼働の理由を発電コストにすり替えて、再稼働を推進しようとしています。

 原発が再稼働しないと現在主流となっているLNG(天然ガス)火力発電では、燃料費が原発よりも高いので電気料金の値上げが避けられないと言っていましたが、この2年間で為替が50%近くの円安になったにも関わらず、世界的なLNGの増産の影響でLNG価格が下がり、何と7月からは電気料金の値下げが行われる状況です。

 安倍政権発足当時、日本の電気料金は世界的に見て、大幅に高く企業の競争力を削ぐと大騒ぎしていたのに、現在の円安水準での日本の電気料金が世界の国々と比べてどうなのかと言う議論は全く行われていません。結局、政府や電力会社は自分達の都合の良い理由や数字を並べ立て、国民の判断力を鈍らせているに過ぎないのです。

 先日、経済産業省が2030年時点での発電コストの試算結果を公表しまた。当然ながら原発は1キロワット時あたり10・1円以上で、下限で比べると、電源別で最も安くなっています。しかし、この表をよく見ると不思議な点があります。原発以外では、発電コストの上限が示されているのに、何故か原発だけは発電コストの上限が示されていないのです。原発の場合には福島第一原発の事故処理費用や賠償金ですでに8兆円近く費やしている事からも明らかなように、事故が起これば賠償や事故処理に多大な費用が必要です。その上、忘れてはならないのは使用済み核燃料の処分、保管費用です。使用済み核燃料は地下数百メートルの深さにトンネルを掘り保管する地層処分が行われますが、その保管期間は少なくとも1,000年、ヨーロッパでは10万年の管理が必要とされています。この管理費用まで含めると原発の発電コストは、実は無限大と言えなくもないので、結局発電コストの上限を原発を推進したい政府でも記載することができなかったのでしょう。

 コスト面での優位性にも疑問符が付く原発ですが、それでも政府は今後も原発を日本の発電の主役として推進していこうとしています。つい最政府が発表した2030年度の望ましい電源構成(ベストミックス)案で原子力の比率は20~22%と、13年度の1%から大幅に増やす事になっています。太陽光や風力などの自然エネルギーによる発電を高コストと決めつけ、目先の発電コストの安い原発推進しています。長期的な視野に立てば太陽光、風力、地熱等の自然エネルギーの発電コストは技術革新で低下するのは当然で、これに対して原発の長期的発電コストは無限大に増大していきます。結局の所、目先の電力会社の利益や原発立地自治体の経済的影響を優先した役人らしい小賢しい発想としか思えません。

 コスト以上に重要なのはやはり原発の安全性についての疑問です。安全をどう考えるかですが、「この安全装置を付ければ事故リスクを現在の100分の一なる」だから安全だと言う様に確立主義で判断するのが普通だと思います。例えば航空機事故にしても色々な計器を装備して、様々なトラブルを想定して対策を講じているから事故が起こる可能性は100万飛行に1回だとか、手術時の全身麻酔についても十分対策が採られているから10万回に1回の事故しか起こらないと言う事です。逆に言えば、どんなに対策を採っても確立は減らせますが、事故がゼロ、全く起こらないことにはなりません。

 結局は、得るものと失う物とのバランスでそれを受け入れるのか拒絶するのかという問題に行き着きます。事故やトラブルが起きても、取り返しの付くことであればリスクを取ってチャレンジするのも良いでしょうが、事故が起こった時それが取り返しの付かないことになるのならば、どんなに確率が小さくてもそのリスクを受け入れますか?仮に人類のすべの病気を治すことができる薬が開発されたとしたとします。しかし、その薬の製造過程で事故が起これば、地球上の全ての生物が滅亡するとしたら、そのリスクを人類は受け入れるでしょうか?事故が起こった時の被害が絶望的な時、確率主義が有効とはとても思えません。

 原発事故の被害は、絶望的なことを目の当たりにした私たちなのに、どうして原発事故を確率主義で論じることができるのでしょうか?政府の役人や電力会社の幹部は、福島第一発電所の事故の被害が絶望的だとの認識がないのかも知れません。

 福島第一原発の地元双葉町の住民の方々は原発のもたらす利益のために、危険がゼロでないことを承知の上で原発を受け入れてきたのは、紛れもない事実です。その結果が自分達の故郷を失うことになってしまったのです。この事実に目を背け、原発の再稼働に賛成している原発立地自治体やその住民、利益を優先し再稼働を推し進める電力会社、結局、原発再稼働を推し進める原動力は目先の利益、損得勘定でしかありません。

 東日本大震災の後も、原発事故の誘因となる大きな地震や火山活動の活発化、そして巨大台風と日本を襲う自然災害は一層増加しています。これが、目先の利益に目がくらみ、損得勘定で原発の再稼働を推進しようとしている日本人への神の警告でないことを願うばかりです。 

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