民意を示そう院長コラム
2014/12/01
安倍首相は消費税増税を延期に対する民意を問うとして、任期を2年あまり残して唐突に衆議院を解散してしまいました。もともと法律自体が、景気の動向により増税の延期が可能となっていたのですから、大きな方針転換をした訳でもなく衆議院を解散して、700億円もの血税を使って民意を問う程のこととは思えませんが、こうなった以上安倍首相に民意を叩き付けてやりたい物です。
しかし福岡市では先月も市長選挙が行われ、選挙が続くことで一層盛り上がりに欠けそうな気がしてなりません。福岡市長選挙では、高島宗一郎市長が過去最多の25万6064票を獲得し再選を果たしましたが、投票率は過去4番目に低い38・73%に過ぎませんでした。その結果、最多得票と言いますが有権者数は117万8607人でしたから、有権者全体の何割の信任を得たかを示す「絶対得票率」は21・7%、つまり有権者の5人に一人にしか信任を得られていないのです。
果たして、これが民にによって選ばれた市長を胸を張って言えるのでしょうか?当選発表後のインタビューで高島市長は。「責任感を背中で感じている。期待に絶対、応えていかなければいけない」。と述べていますが、高島市長に期待しているのは5人に一人だけ、20%の信任しか得ることができなかった事への反省の弁はありませんでした。
この市長選に限らず最近の選挙の投票率は軒並み低く、国政選挙でも前回平成24年の衆議院選挙は59%、平成25年の参議院選挙では52%しかありません。この投票率で当選しても絶対得票率は20%程度が関の山、有権者の5人に一人の信任で議員となり、国民の代表として国を動かしている事になります。
つまりは現在の日本の民意とは有権者20%の考えが反映されているに過ぎないのです。こんな事で選挙で民意を問うと言えるのでしょうか?
一票の格差が問題となり、衆参両議院選挙共に最高裁で違憲判決を突きつけられていますが、一票の格差以上に投票率の低さと絶対得票率の低さです。投票率を上げ、高い絶対得票率で当選してこそ、民意が政治に反映するようにすべきです。
では、具体的にはどうすれば投票率を上げることができるのでしょうか?一番合理的だと思われるのは、首長や小選挙区で当選者が一人の場合は、絶対得票率が50%を越えることを当然の条件とする事でしょう。一度の投票で絶対得票率が50%越えない場合には、上位二人ないし三人で再度投票をやり直すのです。絶対得票率が50%を越えるまで何度でも選挙をやり直すとなれば、費用もかかりますから、選挙費用を税金で負担している有権者が積極的に投票するようになるのは必至です。
また、当選条件を絶対得票率50%以上にすると、多くの議員を選ぶ国政選挙では少数意見を反映できないという批判に対しては、比例代表を併用して少数政党も議席を確保できる制度にすれば問題はありません。この絶対得票率を基準にすることの一番の難題は、選挙をくり返す可能性があるため、選挙費用が膨らんでしまうことです。
もう一つの投票率向上の方法は、罰則制度もしくは報奨制度です。投票に行かなかったら税金を上げる等の罰則を科すか、逆に投票に行ったら報奨金を与えるか、つまり投票の義務化するのです。現在の日本の法律では、投票は国民の権利とされていますから、権利を放棄するつまり投票を棄権しても何の罰則もありませんし、当然報償もありません。しかし権利でなく義務とすれば、国民としての義務を果たさないのですから、罰則があって当然となります。
選挙に行かなかったら罰則なんてと日本国民の多くは思うでしょうが、世界には罰則規定を持つことで高い投票率を維持している国は沢山あります。
シンガポール(選挙権はく奪)・・・93%
オーストラリア(罰金) ・・・93%
ベルギー(罰金・選挙権制限)・・・89%
ウルグアイ(罰金・権利制限)・・・90%
トルコ(罰金) ・・・88%
ブラジル(罰金) ・・・82%
民主主義が当たり前でなかった時代には、選挙権がどれほど貴重な権利であったのか、様々な権力闘争や弾圧を乗り越え、国民の努力によって日本でも現在のように男女20歳以上誰もが選挙権を得たのは1945年になってからに過ぎません。それから70年が経過し、国民の努力で手に入れた民主主義や選挙権は、いつの間にか当たり前の物となり、国民は政治に関心が無くなってしまっています。
本来なら、国民が政治に関心をなくすことは、国の存亡に関わる一大事のはずです。ここは選挙に費用がかかろうが、あるいは罰金を取ろうが、何としてでも国民に政治に関心を待たせ、投票率を上げることが急務です。自民党が良い、民主党が良いと言う前に、一人一人の国民が日本の国をどうしていくのかを考え、自身の考えを投票で示していかなくてはなりません。真の民意を問うために、投票率を上げる方策を一日も早く政治家自身に決めてもらいたいものです。
そうは言っても直ぐに法律を変えることはできませんから、まずは12月の14日の投票日に一人でも多くの人に民意を示してもらうよう、投票を呼びかけていきましょう。
しかし福岡市では先月も市長選挙が行われ、選挙が続くことで一層盛り上がりに欠けそうな気がしてなりません。福岡市長選挙では、高島宗一郎市長が過去最多の25万6064票を獲得し再選を果たしましたが、投票率は過去4番目に低い38・73%に過ぎませんでした。その結果、最多得票と言いますが有権者数は117万8607人でしたから、有権者全体の何割の信任を得たかを示す「絶対得票率」は21・7%、つまり有権者の5人に一人にしか信任を得られていないのです。
果たして、これが民にによって選ばれた市長を胸を張って言えるのでしょうか?当選発表後のインタビューで高島市長は。「責任感を背中で感じている。期待に絶対、応えていかなければいけない」。と述べていますが、高島市長に期待しているのは5人に一人だけ、20%の信任しか得ることができなかった事への反省の弁はありませんでした。
この市長選に限らず最近の選挙の投票率は軒並み低く、国政選挙でも前回平成24年の衆議院選挙は59%、平成25年の参議院選挙では52%しかありません。この投票率で当選しても絶対得票率は20%程度が関の山、有権者の5人に一人の信任で議員となり、国民の代表として国を動かしている事になります。
つまりは現在の日本の民意とは有権者20%の考えが反映されているに過ぎないのです。こんな事で選挙で民意を問うと言えるのでしょうか?
一票の格差が問題となり、衆参両議院選挙共に最高裁で違憲判決を突きつけられていますが、一票の格差以上に投票率の低さと絶対得票率の低さです。投票率を上げ、高い絶対得票率で当選してこそ、民意が政治に反映するようにすべきです。
では、具体的にはどうすれば投票率を上げることができるのでしょうか?一番合理的だと思われるのは、首長や小選挙区で当選者が一人の場合は、絶対得票率が50%を越えることを当然の条件とする事でしょう。一度の投票で絶対得票率が50%越えない場合には、上位二人ないし三人で再度投票をやり直すのです。絶対得票率が50%を越えるまで何度でも選挙をやり直すとなれば、費用もかかりますから、選挙費用を税金で負担している有権者が積極的に投票するようになるのは必至です。
また、当選条件を絶対得票率50%以上にすると、多くの議員を選ぶ国政選挙では少数意見を反映できないという批判に対しては、比例代表を併用して少数政党も議席を確保できる制度にすれば問題はありません。この絶対得票率を基準にすることの一番の難題は、選挙をくり返す可能性があるため、選挙費用が膨らんでしまうことです。
もう一つの投票率向上の方法は、罰則制度もしくは報奨制度です。投票に行かなかったら税金を上げる等の罰則を科すか、逆に投票に行ったら報奨金を与えるか、つまり投票の義務化するのです。現在の日本の法律では、投票は国民の権利とされていますから、権利を放棄するつまり投票を棄権しても何の罰則もありませんし、当然報償もありません。しかし権利でなく義務とすれば、国民としての義務を果たさないのですから、罰則があって当然となります。
選挙に行かなかったら罰則なんてと日本国民の多くは思うでしょうが、世界には罰則規定を持つことで高い投票率を維持している国は沢山あります。
シンガポール(選挙権はく奪)・・・93%
オーストラリア(罰金) ・・・93%
ベルギー(罰金・選挙権制限)・・・89%
ウルグアイ(罰金・権利制限)・・・90%
トルコ(罰金) ・・・88%
ブラジル(罰金) ・・・82%
民主主義が当たり前でなかった時代には、選挙権がどれほど貴重な権利であったのか、様々な権力闘争や弾圧を乗り越え、国民の努力によって日本でも現在のように男女20歳以上誰もが選挙権を得たのは1945年になってからに過ぎません。それから70年が経過し、国民の努力で手に入れた民主主義や選挙権は、いつの間にか当たり前の物となり、国民は政治に関心が無くなってしまっています。
本来なら、国民が政治に関心をなくすことは、国の存亡に関わる一大事のはずです。ここは選挙に費用がかかろうが、あるいは罰金を取ろうが、何としてでも国民に政治に関心を待たせ、投票率を上げることが急務です。自民党が良い、民主党が良いと言う前に、一人一人の国民が日本の国をどうしていくのかを考え、自身の考えを投票で示していかなくてはなりません。真の民意を問うために、投票率を上げる方策を一日も早く政治家自身に決めてもらいたいものです。
そうは言っても直ぐに法律を変えることはできませんから、まずは12月の14日の投票日に一人でも多くの人に民意を示してもらうよう、投票を呼びかけていきましょう。