集団的自衛権よりも国費留学生院長コラム
2014/07/02
ついに日本政府は集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈変更し、自衛隊の海外での武力行使に道を開くことを決定しました。私が学生(たぶん中学生)の頃に社会科で勉強した日本国憲法は、第二次世界大戦の反省から不戦の誓い、戦争放棄などを定めいると理解していました。
ちなみに集団的自衛権の容認問題で話題の中心となっている憲法9条は以下の条文で成り立っています。
第一項、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
これを読んだ中学生だった私が、日本はどんなことがあっても他の国と戦争などしない、自衛隊があるけどどこかの国が攻めてきた時に国民を守る為の物で、まさか国の外に行って武力を行使するなんて夢にも思いませんでした。子供じみていると言われるかも知れませんが、自衛隊は警察のちょっと装備が立派なのくらいの感覚でした。自衛隊が出来た当初は警察予備隊と言ったくらいですから、これはあながち間違いとは言えません一般の人が普通にこの憲法の条文を読めば、私が中学生の頃に理解したのと同じように考えるのが普通です。
しかし、ご都合主義の政治家の考えは違っている様です。その時々に解釈を変え、国民の信を問うことなく平和憲法を変質させようとしています。
その予兆はずっと以前から有ったのかも知れません。軍備は増強され、自国を守るはずの自衛隊が、いつの間にかPKO(国連平和維持活動)で海外で活動するようになりしました。しかし、それでも武力を行使するのではなく、紛争後の平和の維持やインフラの整備などへの協力だから、武力を行使するわけではないから憲法に反するとは私もそして国民の大半も思っていませんでした。
しかし、今回の集団的自衛権に関する憲法解釈の変更は、憲法9条を否定ことになりかねない日本の平和に対する考え方の大きな転換です。紛争の解決の為の武力による威嚇や武力の行使を放棄するとしながら、同盟国のために武力を行使することを認めるなんてどう考えても矛盾します。何を言っても屁理屈に過ぎません。
尖閣諸島の領有権問題で中国との関係が悪化して以来、これを言い訳に国益の確保には防衛力強化そして集団的自衛権の行使容認が必要と訴える安倍政権ですが、国益とはいったい何でしょうか?
領土や資源を守ることも国益でしょうが、一番の国益は国民の人命でしょう。武力を行使すれば、必ず人命が危険にさらされます。自衛隊員が戦闘要員だからと言って命を落として良いはずはありません。何よりも守る物は全ての国民の命のはずです。
戦争に負けたら国は滅びるのか?戦争に負けることが国益を失うことなのか?冷静に現実をよく見てみると戦争の勝ち負けと、国民が幸せとは関係ないことがよく分かります。第二次世界大戦で敗れた日本は平和で経済的に豊かな国になった事は、国民が皆実感していることですし、同じように敗戦国となったドイツはヨーロッパの他の戦勝国よりも経済的発展しEUの優等生として経済的にも政治的にもEUを牽引する立場となっています。
反対に戦勝国のソビエトは、経済的に行き詰まり1991年にソビエト連邦が崩壊し、国民は困窮を極めました。このように、国民の幸せは戦争の勝ち負けではなく、国民の努力によって実現される物であることは明白です。
また戦力を保持することで戦争の抑止力になるとの意見もありますが、これも疑わしい物です。宗教的な対立や民族的な対立が激しい中東ではどの国も戦力を持っていますが、戦力が抑止力となる事はなく、際限の無い戦闘が続き、毎日尊い人命が失われているの現実です。
核兵器を持ち世界一の軍事力を誇るアメリカでさえも、9.11のテロで多くの国民の命が犠牲になりました。結局そんな軍事力、戦力も戦争の抑止力になるなんて事はあり得ません。それは幻想に過ぎないのです。
それでは、どうしたら戦争を防ぎ、日本の国益を守ることができるのか?それ答えは、本当の日本、日本人を世界の人達に知ってもらう事です。最近、インターネットのニュースサイトで中国一般の人達の日本に関するブログの内容をしばしば目にします。その中で日本に来た中国人は日本を「伝統を重んじ、美しく、清潔な国」、そして日本人を「礼儀正しく親切で、大変民度が高い」と評価しています。そして日本に行く前は反日だったのに、本当の日本を知ってからは日本を好きになったと書いています。平和の実現には、当たり前ですが相互の理解が一番大切なのです。
そこで私が提案したいのは、日本が費用を負担する海外からの留学生の受け入れです。発展途上国だけで無く、特に日本と衝突することが多い中国や韓国から日本が費用を負担して留学生を受け入れるのです。豊になった中国でも都市部と地方では収入格差があり、まだまだ地方の農民の子供が日本に留学できるような環境ではありませんから、相手国の国民から喜ばれるに決まっています。そして、多く留学生に来てもらい、日本を知り、日本を好きになってもらうのです。留学生が帰国して、日本の真の姿をその国に伝え、また将来のその国を動かしていくようなってくれれば、日本との関係が悪くなりようがありません。
国費による留学生の受け入れは、戦後アメリカが行ってきたフルブライト奨学金通い例です。この制度のおかげで貧しかった戦後の日本の多くの若者がアメリカで学ぶことができ、その留学生達がその後の日本の発展を牽引してきたのです。そしてアメリカの費用で留学した学生達がアメリカを悪く思うはずはありませんから、その留学生達が日本の指導的立場に着くことで、日本とアメリカは戦争で戦った関係であったのにも関わらず、現在まで良好な関係を保っているのです。
航空自衛隊の次期主力戦闘機F35は一機、140億円と言われています。留学生一人の一年間の受け入れ費用を約400万円(授業料150万円、生活費250万円)とすれば、戦闘機一機で3,500人もの留学生を受け入れることができます。日本の防衛予算は4.8兆円ですから、1%を留学生の受けれに回すだけで、実に12,000人を受け入れられるのです。
憲法9条をねじ曲げて集団的自衛権の行使を容認し、防衛費を増やすより、国費留学生の受け入れの方がよほど効率的で平和に国益を守ることができると思います。
ちなみに集団的自衛権の容認問題で話題の中心となっている憲法9条は以下の条文で成り立っています。
第一項、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
これを読んだ中学生だった私が、日本はどんなことがあっても他の国と戦争などしない、自衛隊があるけどどこかの国が攻めてきた時に国民を守る為の物で、まさか国の外に行って武力を行使するなんて夢にも思いませんでした。子供じみていると言われるかも知れませんが、自衛隊は警察のちょっと装備が立派なのくらいの感覚でした。自衛隊が出来た当初は警察予備隊と言ったくらいですから、これはあながち間違いとは言えません一般の人が普通にこの憲法の条文を読めば、私が中学生の頃に理解したのと同じように考えるのが普通です。
しかし、ご都合主義の政治家の考えは違っている様です。その時々に解釈を変え、国民の信を問うことなく平和憲法を変質させようとしています。
その予兆はずっと以前から有ったのかも知れません。軍備は増強され、自国を守るはずの自衛隊が、いつの間にかPKO(国連平和維持活動)で海外で活動するようになりしました。しかし、それでも武力を行使するのではなく、紛争後の平和の維持やインフラの整備などへの協力だから、武力を行使するわけではないから憲法に反するとは私もそして国民の大半も思っていませんでした。
しかし、今回の集団的自衛権に関する憲法解釈の変更は、憲法9条を否定ことになりかねない日本の平和に対する考え方の大きな転換です。紛争の解決の為の武力による威嚇や武力の行使を放棄するとしながら、同盟国のために武力を行使することを認めるなんてどう考えても矛盾します。何を言っても屁理屈に過ぎません。
尖閣諸島の領有権問題で中国との関係が悪化して以来、これを言い訳に国益の確保には防衛力強化そして集団的自衛権の行使容認が必要と訴える安倍政権ですが、国益とはいったい何でしょうか?
領土や資源を守ることも国益でしょうが、一番の国益は国民の人命でしょう。武力を行使すれば、必ず人命が危険にさらされます。自衛隊員が戦闘要員だからと言って命を落として良いはずはありません。何よりも守る物は全ての国民の命のはずです。
戦争に負けたら国は滅びるのか?戦争に負けることが国益を失うことなのか?冷静に現実をよく見てみると戦争の勝ち負けと、国民が幸せとは関係ないことがよく分かります。第二次世界大戦で敗れた日本は平和で経済的に豊かな国になった事は、国民が皆実感していることですし、同じように敗戦国となったドイツはヨーロッパの他の戦勝国よりも経済的発展しEUの優等生として経済的にも政治的にもEUを牽引する立場となっています。
反対に戦勝国のソビエトは、経済的に行き詰まり1991年にソビエト連邦が崩壊し、国民は困窮を極めました。このように、国民の幸せは戦争の勝ち負けではなく、国民の努力によって実現される物であることは明白です。
また戦力を保持することで戦争の抑止力になるとの意見もありますが、これも疑わしい物です。宗教的な対立や民族的な対立が激しい中東ではどの国も戦力を持っていますが、戦力が抑止力となる事はなく、際限の無い戦闘が続き、毎日尊い人命が失われているの現実です。
核兵器を持ち世界一の軍事力を誇るアメリカでさえも、9.11のテロで多くの国民の命が犠牲になりました。結局そんな軍事力、戦力も戦争の抑止力になるなんて事はあり得ません。それは幻想に過ぎないのです。
それでは、どうしたら戦争を防ぎ、日本の国益を守ることができるのか?それ答えは、本当の日本、日本人を世界の人達に知ってもらう事です。最近、インターネットのニュースサイトで中国一般の人達の日本に関するブログの内容をしばしば目にします。その中で日本に来た中国人は日本を「伝統を重んじ、美しく、清潔な国」、そして日本人を「礼儀正しく親切で、大変民度が高い」と評価しています。そして日本に行く前は反日だったのに、本当の日本を知ってからは日本を好きになったと書いています。平和の実現には、当たり前ですが相互の理解が一番大切なのです。
そこで私が提案したいのは、日本が費用を負担する海外からの留学生の受け入れです。発展途上国だけで無く、特に日本と衝突することが多い中国や韓国から日本が費用を負担して留学生を受け入れるのです。豊になった中国でも都市部と地方では収入格差があり、まだまだ地方の農民の子供が日本に留学できるような環境ではありませんから、相手国の国民から喜ばれるに決まっています。そして、多く留学生に来てもらい、日本を知り、日本を好きになってもらうのです。留学生が帰国して、日本の真の姿をその国に伝え、また将来のその国を動かしていくようなってくれれば、日本との関係が悪くなりようがありません。
国費による留学生の受け入れは、戦後アメリカが行ってきたフルブライト奨学金通い例です。この制度のおかげで貧しかった戦後の日本の多くの若者がアメリカで学ぶことができ、その留学生達がその後の日本の発展を牽引してきたのです。そしてアメリカの費用で留学した学生達がアメリカを悪く思うはずはありませんから、その留学生達が日本の指導的立場に着くことで、日本とアメリカは戦争で戦った関係であったのにも関わらず、現在まで良好な関係を保っているのです。
航空自衛隊の次期主力戦闘機F35は一機、140億円と言われています。留学生一人の一年間の受け入れ費用を約400万円(授業料150万円、生活費250万円)とすれば、戦闘機一機で3,500人もの留学生を受け入れることができます。日本の防衛予算は4.8兆円ですから、1%を留学生の受けれに回すだけで、実に12,000人を受け入れられるのです。
憲法9条をねじ曲げて集団的自衛権の行使を容認し、防衛費を増やすより、国費留学生の受け入れの方がよほど効率的で平和に国益を守ることができると思います。