医療の過信、医療への過信院長コラム
2012/05/04
医療技術の発達に伴い、多くの病気を治すことが出来るようになり、人の寿命も大きく延びました。しかし、未だ医療には限界があり、人の命を永遠に長らえることは不可能なのも事実です。
しかし医療技術の発達は、病気は治るもの、治って当たりまえと言う誤解を患者さんのみならず、治療する医療従事者にも与えてしまっているような気がしてなりません。いつの間にか医療は全能の神のように誤解され、病院に行けば病気は治るものと社会全体が思い込んで、いや思い違いをしてしまっているのです。これが医師の医療の過信、患者さんの医療への過信なのです。
私の矯正歯科の分野でも過信が引き起こすトラブルを最近耳にしました。一つは犬歯が骨の中に埋まって上手くはえてこない患者さんに対して、犬歯の後ろの永久歯を抜歯してそのスペースに犬歯を牽引しようとしたのですが、上手く犬歯が動かず前歯の根に当たり、結局前歯の根が吸収してしまい前歯を抜歯することになり永久歯を2本失いました。後になって考えれば、後の永久歯を抜くよりも前歯を抜けば永久歯を失うのは1本だけで良かったので、この治療を行った先生は自分の診断が誤っていたのではないかと、自責の念に苛まれてしまいました。
もう一つは外科的矯正治療後のしびれに関してのトラブルです。外科的矯正治療は下顎骨の移動の際に下歯槽神経という唇や歯の知覚神経の近くの処置を行うので、神経を傷つけることがなくても、しびれや知覚の鈍麻が発現することがあります。ほとんどの患者さんは長くても手術後1,2年の間には改善しますが、ほんの僅かですが症状が残ってしまう場合があります。この事は手術の前にも十分患者さんに説明していたのですが、ある患者さんと手術を行った病院との間で大きなトラブルになってしまいました。手術は完璧に行われたにもかかわらず、不幸にして知覚の異常が起こってしまったのですが、患者さんとしては、全てが上手く行くのが当たり前で知覚異常が起こったことが納得できないのです。
しかし、どちらの場合ももう一度同じ患者さんが目の前に現れた時、その先生は違う治療方針、違う手術方法をとるでしょうか?そんなことは、きっとありません、また同じ治療方針、手術方法をとるはずです。それはその先生がこの診断や処置が正しいと信じているからです。しかし、正しい診断、正しい治療を行えば、必ず良い結果になる訳ではないのです。予想通りに行かないことがあるのが医療なのです。それぐらい人間の体は複雑です。
医療はあくまで、過去の経験に基づいて結果を予想して処置をするだけで、治すのは患者さん自身の体の反応です。医療は治療をすると言いますから能動的なようですが、実は病気を治しているのは患者さん自身の体なので良くなると言う受動的な物のはずです。
医療が受動的であるならば、その結果に絶対はあり得ませんし、治療する医師の思うようにできるなんて事はありません。しかし、特に歯科領域では、自己再生能力のない歯を削って人工物で埋める、被せることが治療の中心でしたから、歯科医の思うように歯や咬み合わせを作ることができたので、結果として歯科医も患者さんも思い通りにできると思い込んでしまったのです。
その最たる物が、歯周病や虫歯で歯の治療が必要になった時、簡単に歯を抜いてインプラントにすれば良い、歯槽骨が足りないなら人工物を入れて骨を作れば良いと言う最近の風潮です。これは何でも歯科医の思うように治療できるという、歯科医のおごり、医療への過信でしょう。その結果がニュースで報じられるように沢山のインプラントのトラブルです。
歯科に限らず、全ての医療で医療の過信、医療への過信が大きな不幸を引き起こしています。特に先端医療である生殖医療も移植医療の分野で多くの問題を引き起こしています。体外受精などの生殖医療で生まれた子供達に異常が有る割合は自然な出産と変わりがないのか?母親の健康に問題は無いのか?大きな疑問が残ります。臓器移植では、移植手術が成功したとしても免疫抑制剤を一生飲み続ける必要があるとか、免疫抑制剤を服用すれば感染症を避けられず、それにより命を落とす危険性もあるなど、移植を受けたとしても以前と変わりない生活を送ることは難しいのが現実でしょう。生殖医療や移植医療が神への冒涜とは言いませんが、生殖医療や移植医療が簡単に受けられる身近な医療ではないはずです。
医療は万能ではないのです。治療を「こうする」と言いますが、実は「そうなった」だけで、医療は「そうなる」ように手助けしたに過ぎません。手助けですから、必ず思うように行かない場合があるのは当然です。
医師も患者さんも病気を治すのは医師ではなく患者さんの体自身である事を忘れてはいけません。医師も患者さんも人の命や、人の体に対して、もっと謙虚になる必要があるのです。医療を行う時に医師も患者も謙虚な姿勢で医療を行うあるいは医療を受けることのメリット、デメリットを客観的に真剣に検討することが必要です。
医療の過信、医療への過信をすて、人の命、体のに対して謙虚になり病気に向き合うことこそ、幸せな人生を送る秘訣ではないでしょうか?
しかし医療技術の発達は、病気は治るもの、治って当たりまえと言う誤解を患者さんのみならず、治療する医療従事者にも与えてしまっているような気がしてなりません。いつの間にか医療は全能の神のように誤解され、病院に行けば病気は治るものと社会全体が思い込んで、いや思い違いをしてしまっているのです。これが医師の医療の過信、患者さんの医療への過信なのです。
私の矯正歯科の分野でも過信が引き起こすトラブルを最近耳にしました。一つは犬歯が骨の中に埋まって上手くはえてこない患者さんに対して、犬歯の後ろの永久歯を抜歯してそのスペースに犬歯を牽引しようとしたのですが、上手く犬歯が動かず前歯の根に当たり、結局前歯の根が吸収してしまい前歯を抜歯することになり永久歯を2本失いました。後になって考えれば、後の永久歯を抜くよりも前歯を抜けば永久歯を失うのは1本だけで良かったので、この治療を行った先生は自分の診断が誤っていたのではないかと、自責の念に苛まれてしまいました。
もう一つは外科的矯正治療後のしびれに関してのトラブルです。外科的矯正治療は下顎骨の移動の際に下歯槽神経という唇や歯の知覚神経の近くの処置を行うので、神経を傷つけることがなくても、しびれや知覚の鈍麻が発現することがあります。ほとんどの患者さんは長くても手術後1,2年の間には改善しますが、ほんの僅かですが症状が残ってしまう場合があります。この事は手術の前にも十分患者さんに説明していたのですが、ある患者さんと手術を行った病院との間で大きなトラブルになってしまいました。手術は完璧に行われたにもかかわらず、不幸にして知覚の異常が起こってしまったのですが、患者さんとしては、全てが上手く行くのが当たり前で知覚異常が起こったことが納得できないのです。
しかし、どちらの場合ももう一度同じ患者さんが目の前に現れた時、その先生は違う治療方針、違う手術方法をとるでしょうか?そんなことは、きっとありません、また同じ治療方針、手術方法をとるはずです。それはその先生がこの診断や処置が正しいと信じているからです。しかし、正しい診断、正しい治療を行えば、必ず良い結果になる訳ではないのです。予想通りに行かないことがあるのが医療なのです。それぐらい人間の体は複雑です。
医療はあくまで、過去の経験に基づいて結果を予想して処置をするだけで、治すのは患者さん自身の体の反応です。医療は治療をすると言いますから能動的なようですが、実は病気を治しているのは患者さん自身の体なので良くなると言う受動的な物のはずです。
医療が受動的であるならば、その結果に絶対はあり得ませんし、治療する医師の思うようにできるなんて事はありません。しかし、特に歯科領域では、自己再生能力のない歯を削って人工物で埋める、被せることが治療の中心でしたから、歯科医の思うように歯や咬み合わせを作ることができたので、結果として歯科医も患者さんも思い通りにできると思い込んでしまったのです。
その最たる物が、歯周病や虫歯で歯の治療が必要になった時、簡単に歯を抜いてインプラントにすれば良い、歯槽骨が足りないなら人工物を入れて骨を作れば良いと言う最近の風潮です。これは何でも歯科医の思うように治療できるという、歯科医のおごり、医療への過信でしょう。その結果がニュースで報じられるように沢山のインプラントのトラブルです。
歯科に限らず、全ての医療で医療の過信、医療への過信が大きな不幸を引き起こしています。特に先端医療である生殖医療も移植医療の分野で多くの問題を引き起こしています。体外受精などの生殖医療で生まれた子供達に異常が有る割合は自然な出産と変わりがないのか?母親の健康に問題は無いのか?大きな疑問が残ります。臓器移植では、移植手術が成功したとしても免疫抑制剤を一生飲み続ける必要があるとか、免疫抑制剤を服用すれば感染症を避けられず、それにより命を落とす危険性もあるなど、移植を受けたとしても以前と変わりない生活を送ることは難しいのが現実でしょう。生殖医療や移植医療が神への冒涜とは言いませんが、生殖医療や移植医療が簡単に受けられる身近な医療ではないはずです。
医療は万能ではないのです。治療を「こうする」と言いますが、実は「そうなった」だけで、医療は「そうなる」ように手助けしたに過ぎません。手助けですから、必ず思うように行かない場合があるのは当然です。
医師も患者さんも病気を治すのは医師ではなく患者さんの体自身である事を忘れてはいけません。医師も患者さんも人の命や、人の体に対して、もっと謙虚になる必要があるのです。医療を行う時に医師も患者も謙虚な姿勢で医療を行うあるいは医療を受けることのメリット、デメリットを客観的に真剣に検討することが必要です。
医療の過信、医療への過信をすて、人の命、体のに対して謙虚になり病気に向き合うことこそ、幸せな人生を送る秘訣ではないでしょうか?