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院長コラムで院長を知ろう!矯正歯科専門医 河合悟が思うこと。

学歴社会の終焉院長コラム

2008/07/01 

 「だれでもいいから人を殺したかった」この言葉を聞いた時、何と恐ろしい感じがしたことでしょう。普通の社会生活をしてる人間が発したとは思えない、いや思いたくない言葉でしょう。暴力団などの非社会的な集団の構成員や覚醒剤中毒者なら仕方がないとしても、まさか普通に生活している若者がこう考えているかも知れないなんて思いたくありません。
 しかし、先日の 秋葉原無差別殺人事件や4月の土浦市の荒川駅前無差別殺人事件、 そしてJR岡山駅突き落とし殺人事件と次々起こる若者の無差別な殺人事件。何の関係もない人の命を躊躇無く奪うその若者の心の中はどうなっているのでしょう?これらの犯人に共通している犯行の動機は、人ではなく社会へ対する恨みです。受験の失敗や成績の低下で学歴社会の中で挫折し、そこから抜け出せない事への不満が社会への不満となり、それが鬱積して犯行におよんでいるようです。親の期待感に答えようとする重圧、そして受験の失敗による挫折感と親や社会から見放される孤独感、その積み重ねが心を歪めていくのではないでしょうか?どの事件の犯人も小中学生の頃までは、優秀なよい子であったと報道されていますが、親の言うことを良く聞き親の期待に応えられていた間は、優秀な良い子であった訳で、その期待に応えられなかった時自分の居場所が無くなり、引きこもりとなったり自暴自棄になりどうしようもない子供になってしまうのです。その上小学生の頃から塾などの時間に追われ集団で遊ぶことが少なく友達同士でのコミュニケーションを計ることも少なかったために、人間関係を上手く構築できず、心の内を話す友人も少ない。そして、親も人一倍教育に情熱を注いできたために子供の受験の失敗や学校の成績の低下が大きな挫折感となり子供同様心の余裕を失い、自分のことで精一杯で子供の心を察する事が出来なくなるのです。つまりこうした無差別殺人事件の原因の一つとして親子の学歴社会に対する呪縛があるとしか思えません。
 今の日本社会をよく観察してみると昔よりも学歴による格差は小さくなってきているのではないでしょうか?例えば大学と言う制度が作られた明治の頃から高度成長期が始まる前の昭和30年代までは、大卒者はごく希で大学卒業していることのメリットは計り知れない物だったかも知れません。然し現在の様に大学進学率が50%を越え、誰もが高等教育を受ける事が出来る現代では、大卒者とそうでない人の所得格差は昔ほど大きくありません。それでは東大、京大などの超難関校の卒業生はどうかと言えば、それは成功している人の割合は多いかも知れませんが、全ての人が圧倒的な成功者になっているかと言えばそんなことはあり得ません。
 しかし、学歴による格差は小さくなったとしても、格差社会とよく言われる様に格差は開いているのかも知れません。ではその原因は何処にあるのでしょうか?私は、その格差の原因はコミュニケーション能力とやる気だと思います。現代の様な高学歴社会では、人々が社会生活で必要とされる知識水準を十分満たしているため、知識水準つまり学歴で差が出ることは少なく、その他の要素で格差が付いている思います。
 そこで重要なのがコミュニケーション能力とやる気(覇気)です。少子化で兄弟や家族の中で意志を伝える事や時間に追われ友達同士で過ごす事が少ないための対人関係を構築する能力つまりコミュニケーション能力を養う機会が減少しているのです。そして、子供の頃から何でも与えられ、満たされた暮らしをしてきたために、自分から積極的に何かをしようとするやる気がないのも若者に共通の基質です。ですから、コミュニケーション能力を持ちとやる気のある若者の方が、学歴がある若者より貴重であり、当然、将来成功する可能性が高くなるはずです。
 このような現状から、現代の日本は学歴社会が終焉し、その次の段階つまり”コミュニケーション能力、やる気重視”の社会へ 変貌しているのではないでしょうか。この社会情勢の変化を社会一般が認識した時、子供やその親は学歴社会の呪縛から解き放たれ、若者が自分の可能性を信じて頑張ることができる平和な社会が現実となるのだと思います。

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