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院長コラムで院長を知ろう!矯正歯科専門医 河合悟が思うこと。

目覚めよ50代!院長コラム

2011/06/01 

 3月11日の東日本大震災のニュースで伝えられる津波に襲われ一面がれきの山となった想像を絶する現地の状況に国民の気持ちは奈落の底に突き落とされたように沈みました。そこに広がる様子は終戦後の空襲で焼け野原になった日本各地の写真と重なって私には見えました。空襲で焼け野原になった街、それは私にとって空想の世界、日本がそんな状況に再びなるなんて夢にも思っていませんでした。平和ボケだったのかも知れませんが、思いもよらない惨状に本当に衝撃を受けました。

 震災から日が経つにつれ新聞、テレビには「復興」の文字が目立つようになってきました。私は「復興」の文字を見る度、私の頭の中ではどうしても震災と戦後の日本の状況が重なり合い、戦後の日本の復興そして現在に到る日本の歩みを振り返るようになりました。 昭和32年(1957年)生まれの私は、貧しかった時代の日本を知っている最後の世代です。私の育った時代をたどってみると、幼児の頃は台所が土間でしたし、練炭の掘りごたつがあるような、まだまだ貧しい暮らしでした。それが小学校入学の年には戦後の日本の復興の総決算とも言える東京オリンピックが開かれ、やっと我が家に登場した白黒テレビで開会式を見られるようになっていました。そして同時に開業した東海道新幹線、どうしても乗ってみたくて熱海の温泉に連れて行ってもらったことを今でも良く覚えています。小学校の間の社会の変化は大きく、小学校の教室にテレビが設置されたり、自家用車が普及し家族でドライブに出かけるようになっていました。そして迎えた1970年中学校入学の年に大阪の万博で斬新なパビリオンや夢に溢れる展示品を見て、日本や自分の明るい未来を確信したものです。

 その後も為替レートが1ドル360円からどんどん円高になり、世界中のものが安く手に入るようになった日本は豊かさを享受していきました。そして1970年代後半からその傾向は一層強まり、80年代のバブル景気に繋がっていきました。私はその時代に大学生活、新社会人として将来に何の不安もなく、希望に満ちた毎日を送っていました。高校、大学の卒業生の就職率はほぼ100%、今の学生達のように就職の心配はありませんでした。おまけに終身雇用制ですから、学校を卒業して真面目に働けば将来の不安なんて考える必要はない時代でした。

 しかし、こんな夢のような時代はそうそう長続きするものではありません。30代を迎え社会で中堅どころとなり、私たちの世代がいよいよ活躍しようとしていた矢先の1990年バブルは崩壊し、以来現在まで続く長い、長い不況、先の見えない時代に突入しました。それから20年あまり、現在の50代である私たちの世代は、社会に大いに貢献すべき30代、40代をバブルの後片付け明け暮れ、自分対の生活を守るのが精一杯でした。とても次の世代のために社会について考え、行動を起こする余裕はなかったように思います。その結果、今の20代、30代の世代は物心ついた時から社会は閉塞感が漂うばかりでしたら、哀れなことに活気溢れる社会や明るい未来を思い描くこともできなかったでしょう。

 そして私は思いました、今回の震災からの復興を牽引すのは私たち50代の使命だと。50代の私たちは会社や社会の中で丁度、重要なポジションにいる年齢ですし、家庭生活でも子供がそろそろ社会に出て行き、自分の思うように時間やお金が自由になりつつある年齢です。今までであればリタイア後の生活について、やり甲斐や生活費等のことを考える年齢でしょうが、この震災をきっかけに社会のため、次の世代のためにもう一働きすべきではないでしょうか?私たちの親の世代が戦後の何もない所から、あの輝いて希望に溢れいてた70年代、80年代を築いてくれました。その輝いていた時代を謳歌し、その時代の素晴らしさを知っている私たち50代だからこそ、次の世代へ再び輝く日本を築く事ができるはずですし、それが使命です。

 社会の中軸として活躍すべき時代を眠れる20年として過ごした50代、今こそ目覚めよ、そして私利私欲でなく、社会のため、日本の未来のために貢献しようではありませんか!!

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